カテゴリ:青春の詩( 21 )

自由を語るな不自由な顔で~知識/吉田拓郎~

Twitterの方では既に書きましたが、最近のメディア報道を見ていると、拓郎の「知識」を思い出します。

本来、自由というのは多様で、他人に縛られない一方で、孤独も引き受ける勇気が必要なものだと思います。

反対にあるのが、自分の思うところはあっても、左右を見て出過ぎないようにする日本独自の風習だと思います。それが日本の美徳でもあり、一方では、それが戦争を止められなかった要因でもあると私は思います。

拓郎の「知識」は、出だしからして強いメッセージを持っていると思います。

「どこへ行こうと勝手だし、何をしようと勝手なんだ」

一見このフレーズは、とても自分勝手なように思えます。でも意味するところは全然違うように思うのです。

「髪の毛を切るのもいいだろう」と続きます。

この「髪の毛」は、同世代の歌を知っている人なら多くの人が「いちご白書」を思うのではないでしょうか。私もそう思います。「知識」は74年、「いちご白書」は75年なので、知識の方が先なのですが、

「髪を切ってきた時 「もう若くないさ」と君に言い訳したね」

ユーミンの書いたこのフレーズは、当時の時代の空気を感じさせます。

長い髪でいることが自由の象徴だった。皆と同じに、反対」と言っていれば良かった。でも、自分が就職する時、そういう訳にはいかないとみんながそれぞれに悟る。だって進んでいくことが必要だから。そんな自分の気持ちの後ろ暗さを「もう若くないさ」というフレーズに込めたんだと思うんです。

でも拓郎は言います。

「髪の毛を切るのもいいだろう。気疲れするのは自分なんだ」

過去を断ち切る。自分がそう思うなら堂々と行けばいい。周囲は冷たい視線を向けるかもしれないが、自分の生きる道だ。そう言っているように聞こえます。

拓郎は続けます。「上手くやるのもいいものだ。美味しいものには味がある。」

拓郎は、自由とはそういうものだと言っているように思うのです。

日本的な労働慣行と、例えばメジャーの野球を見れば分かります。

メジャーは機会は広く門戸を開く。成功すれば巨額の報酬がある。でも結果がでなければすっぱり契約を切る。上手くやれば大きな果実を手にできる。でも失敗すれば容赦がない。でも「気疲れするのは自分なんだ」そういうことなんじゃないでしょうか。

今、メディアの報道を見ていると、言論の多様性も、言論の自由も大事にされていないように思います。

放送法の議論も盛んにされていますが、既存の放送局の言い分は、存立の基盤が乱されるといいたいのでしょう。

でも時代は変わっています。誰もがメディアで発信することが出来るようになり、自宅でテレビをつけなくても、電車の中でもネットでニュースを読むことができるようになりました。そもそもyahooもgoogleも、ニュースのポータルに民放の割り当てはありません。好むと好まざるとに係わらず、文春でもポストでもゲンダイでもニッカンでも、いろんなメディアがフラットに表示されるのがネットのポータルです。そして皆それを普通の事だと思っているのではないでしょうか。


結局放送法の議論は、詰まるところ規制に結びつきます。

誰もが自由にテレビ放送もしてみたい。もしかしたらそんな時代なのかもしれません。

大河ドラマもずいぶん軽くなりました。史実を離れ、エンターテインメントに寄っていくなら自ずと軽重の判断も軽くなっていくのは仕方ないことでしょう。

テレビ局の経営者の意見などを聞いていると、拓郎がいう

「自由を語るな 不自由な顔で」

を思い出します。

そんな中、テレビ東京が「視聴者のメリットになるのであれば、我々民放も新しい提案をするチャンスが広がるということ。」としたのは目新しかった。

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先日、伊勢丹松戸店が閉店になりました。百貨店が閉店になるということは、街の光が消えるということで、寂しさで一杯です。


でも、要因はいくつもあり、郊外型SCやアウトレットの展開、ネット通販など私たちをめぐるショッピング環境は大きく変わっています。


軽井沢も幕張も、アウトレットの駐車場はクルマで溢れています。これだけの新しい市場が生まれれば、去っていく市場があるのもやむを得ないとも思うのです。結局伊勢丹は地方都市の駅近百貨店のビジネスモデルを見つけられなかったということだと思うのです。


でも活路は必ずある。アウトレットも郊外型SCも流行っています。市場はどこかにあるのだから。


拓郎は言います。「一人になるのに理由がいるか 理由があるから生きるのか」


拓郎は広島フォーク村、広島の仲間たちとのバンドを辞めて、単身一人で千葉に出てきた。歌手でプロでやっていきたいとの思いが抑えられなかったからだと自伝で読みました。知識の歌詞を見ているとそんな拓郎の考え方を感じます。


「一人になるのに理由がいるか 理由があるから生きるのか」


拓郎はこの歌詞の中で、「自由」の意味を語っている、そう思うのです。


by bjiman | 2018-03-31 23:08 | 青春の詩 | Comments(2)

歓喜の歌を世界に

今年も色々なことがあり、世界も日本も何かと騒がしい。
言うべきことは言わねばならないし、妥協の余地がないものもある。
それはそれでやむを得ないが、争いは人々の心を疲労もさせる。
年末は、1年間ありがとうの感謝と喜びを感じて終わりたい。
そんなことからか、何となく掃除をしながら節々でこんな大人な文化を感じさせるフラッシュモブの第九の歓喜の歌を聴くと、心が癒やされるものがある。
2018年もどうか平和と家族の喜びが世界を包みますように。

by bjiman | 2017-12-30 11:56 | 青春の詩 | Comments(2)

時の魔法 ~マークさんを偲ぶ~

GAROの代表曲はいっぱいあると思うんですが、72年という年代を考えると、この「時の魔法」がとりわけポップだなと思います。
GAROのロゴもカセットテープみたいで、何とも当時の雰囲気が感じられます。
ツマに聴かせたら、「アルフィー?」って聞いたくらいなんで(アルフィーはガロと同じ事務所の後輩になり、バックも一時務めた)やはり新しさがあったんでしょうね。

GAROはCSN&Yがらみのエピソードが多いですが、当時のミュージシャンはみんなビートルズやビーチボーイズ、エバリー&ブラザーズなんかを勉強していたんだと思います。
文字通りCSN&Yの「青い目のジュディ」を聴いても、日高さんの豪華なマーティンD45を素晴らしく鳴らしているギターテクニックと、マークの12弦ギターの素晴らしい共演を楽しめます。ガロは、こういう方向を指向した曲が一番らしかったのでしょうけど、それはやっぱり輸入品なので、そのままでは売れなかったでしょうね。

日高さんもマークさんも残念ながら既に亡くなってしまいました。
私はマークさんのどこか悲しげな繊細さのファンなのかなとも思うのですが、本当、惜しい方を亡くしたものです。。。

by bjiman | 2017-12-30 02:21 | 青春の詩 | Comments(0)

AN INSATIABLE HIGH 高中正義

AN INSATIABLE HIGHのカッコいいジャケットのアルバムを兄貴から聴かせてもらったのはたぶん発売の年(1977年)の頃だと思いますが、
なにしろこのタイトルチューンがスキでした。
高中というと、小学生の時は、吉田拓郎LIVE73の名曲・落葉のイントロのイメージがありましたが、中学生時代は、キーボードの小林泉美さんのflyingMIMIと合わせて、こういうカッコいい曲を夢中で聴いていました。
この映像は1980年のものだそうですが、圧巻なのは、5分20秒から8分30秒までの3分10秒続く高中とMIMIさんの掛け合いです。
2人でぴったり息のあったノリノリの掛け合いが続き、MIMIさんが彼のプレーを後ろから見ながら「どう、どう?どうだ~」と言ってるかのようにプレーを合わせていく様は、ちょっとセクシーな感じがします。
代表曲の一つ「READY TO FLY」でもMIMI姉さんもノリノリだ。
MIMIさんのソロ、FlyingMIMIバンドのアルバムは、オレンジ・スカイを良く聴いていました。MIMIさんは東京音大ピアノ科卒業なので、
さすがのプレイ。ソロでやっている時、オーディションで高中が審査員でいたというのが高中正義スーパーバンドに入るきっかけだったとか。
ソロ名義でも「うる星やつら」の主題歌を歌うなどの活躍をした後、ロンドンやキューバなどに行ってしまったとか。
ついでに、「高中だぜぇ」の声がかかる吉田拓郎さんの「落葉」。オリジナルの1973年のライブ盤で高中さんが演奏しているからだと思いますが、この1985年の嬬恋が凄いです。
ラストのソロが圧巻。


by bjiman | 2017-12-27 17:08 | 青春の詩 | Comments(0)

必ず今夜なら 言えそうな気がした

私の友人の中にも、新幹線での遠距離恋愛を成就させた奴がいます。青春だね。
1989年の牧瀬里穂ちゃんもかわいいけど、私はやっぱりこの88年の深津絵里さんのバージョンがスキですね。

by bjiman | 2017-12-25 00:14 | 青春の詩 | Comments(0)

君は「わたスキ」を見たか

私たち夫婦は「わたスキ」世代。
早いモノであれからもう30年が経ったそうだ。JRのSKISKIキャンペーンで、かつての動画(だけ)使いつつ、ユーミンのブリザードにのせて、ちょっと笑えるCMが流れている。
冬が来ればスキー。クルマはスノーチェーン。関越の入り口で何時間並んだか。。。
スタッドレスタイヤが出来て、とても便利になっていったし、新幹線は、ガーラが出来て、手ぶらでスキーに行けるのは画期的だった。確かスキップという名前の1万円の新幹線切符は何度も買った。私は石内丸山が良く行くゲレンデだったし、石内丸山の民宿経営の人たちはガーラまで迎えに来てくれる場合も多かった。
「わたスキ」はスキーもカッコ良かったけど、クルマも良かった。流線型セリカの4WDはヨーロッパのラリーシーンでも大活躍する本格的なものだったし、それまでどこか欧州車の影に隠れがちだった日本車が、初めて欧州車の前に出ても全く引け目を感じないという次代の到来を感じさせた。バブルと言ってしまえばそれまでだけど、空前のバブル感の中、若者達は積極的にクルマを買って、彼女を誘ってゲレンデに行った。スキーの腕(足)も磨いた。それはそれで素晴らしく元気な時代だったと思う。


千葉にはザウスなんて屋内スキー場まで出来て、当時のスキー好きの後輩と、ゲレンデに行かない週は練習に励んだモノだ。達郎の音楽も懐かしい。


by bjiman | 2017-12-23 14:50 | 青春の詩 | Comments(0)

繊細で、美しい。ガロはもっと見直されるべき~花の伝説~

ガロに出会ったのはラジカセで録音をし始めた頃だから76年くらいからだと思うのですが、当時、はじめて聴いた「ロマンス」「君の誕生日」でその美しいコーラスに子供ながら衝撃を受けたものです。あの「学生街の喫茶店」と全然違うじゃないか、、、と。
でも大人になってから改めて久し振りに聴いたガロの方がもっと驚いたかな。和製CSN&Yとは良く言ったものだと思うけど、まだフォークブームすら始まっていない71年当時に、この繊細で美しいポップな曲たちが世の中に出ていたなんて、、、まさに驚きかな。
ギターの音がとても好きなんです。実際、マーティンD45などの超・高級ギターを使っていたみたいだけど、その音の繊細さは、マーティンらしい音だとも思うんですよね。
実際、この花の伝説と、地球はメリーゴーランドは、今聴いてもとても新鮮に感じます。
その繊細さ、美しさ、、、ガロは傑出したグループだったと思います。

by bjiman | 2017-12-22 00:53 | 青春の詩 | Comments(0)

尾崎亜美は天才だと思う

尾崎亜美さんの名前は多くの人が知っていると思うけど、ユーミンや竹内まりやさんほど有名というのでもないかなと思う。
でも小学生時代からのファンの私としては、声を大にして言いたいと思う。「尾崎亜美は天才だ」と。


ポップでメロディアスで、何より彼女の提供曲は、その歌手の代表曲になっている。これは立派という他ない。
人気絶頂の松田聖子のようなビッグネームにも素晴らしい楽曲を提供。
アイドルにも楽曲を提供。観月ありさの「ママの時代のラブソング~」の歌い出しには、あぁ世代が変わっていくんだなと感慨深く思った。
私が個人的に好きな尾崎亜美というと、マイピュアレディに続いて初期の曲。特に「偶然」という曲が好きでした。
尾崎亜美さんを支える夫の小原礼さんはとても渋くて格好いい。彼女のはじけるイメージをベースで支える彼は、いかにも寡黙な仕事人という雰囲気。
実際はどんな方か分からないけど、とても素敵な雰囲気だ。




by bjiman | 2017-12-18 01:32 | 青春の詩 | Comments(0)

若者達よ、元気を出して ~波の数だけ抱きしめて~

私たちの頃は、「わたすき世代」。誰もがスキーに行き、学校の学園祭ではFM放送局などが流行でした。バブルの頃と言われるけど、若い人たちは元気で、それぞれの青春を謳歌していたと思います。決して豊かではありませんでしたが、明日に夢を持っていました。
そんな時代を反映したホイチョイ3部作の中では、とりわけ私は3作目の「波の数だけ抱きしめて」が好きでした。いや好きです、かな。

by bjiman | 2017-12-16 17:05 | 青春の詩 | Comments(0)

空気のように溶け込んでいくアナハイムサウンドと渡辺貞夫さん~MorningIsland~

中学高校時代、放送機器にのめり込んでいきました。オーディオ機器の中でもとりわけ録音機器やスピーカーなどに凝って、アンプは自作、スピーカーも自作という風になっていきました。そんな時代、スピーカーで最も好きなメーカーはアルテックでした。
アメリカのトーキー文化を彩ったWE(ウエスタン・エレクトリック)の流れを汲んだALTEC(オールテクニカルの略だったと思いますが)が出来て、そこのエンジニアに新進気鋭のジェームス・B・ランシングさんが加入してくる、ランシングさんは、自分の会社、ランシングコーポレ-ションを順調に経営することが出来ずにアルテックに迎えられる形で吸収されるのですが、その製品は優れていたので、ALTECを代表するスピーカー・ユニット38cmウーファーの515のラベルにはそんな彼の優れたエンジニアリングを尊重するかのように「ランシングコーポレーション」と書かれたままだったんです。ALTECで発売しているのに。そんな米国の企業文化にも驚きますが、そのアルテックで、あまりにも有名な604シリーズモニターを展開したランシングさんが、家庭用のシステムを作りたいと行って独立したのが有名なJBL社の設立経緯。そんな歴史を本で一生懸命読んでいました。
(そしてその時代にランシングさんが開発したユニットが今、我が家で鳴っている30cmフルレンジユニット2130の元であるD131なんです。)私にとっては、この過渡期、移行期が最も好きで、ランシングさんが設計したアルテックのユニットは好きなものばかりでした。そんなアルテックの特徴は2Wayでシステムを作ることで、JBLのように3Wayや4Wayはやりませんでしたし、私もそこに惹かれていました。ワイドレンジのタンジェリン・ドライバーを用いて高域を拡大した802-8Gを使った2WayシステムだったMODEL19というシステムが大好きで、秋葉原の専門店に通っては聴かせてもらっていました。アメリカといっても実際に行ったこともないカリフォルニア・アナハイムの空気感を想像して体感しようと思っていました。
ある時、MODEL19から流れてきた曲、渡辺貞夫さんの「MorningIsland」の軽やかな透明感あるフルートが空気に溶けていくように、まるで目の前の空気のようにそこにあったサウンドを忘れることはできません。あれが、私にとっての最高のオーディオ・サウンドでした。


by bjiman | 2017-12-15 00:20 | 青春の詩 | Comments(0)