自由を語るな不自由な顔で~知識/吉田拓郎~

Twitterの方では既に書きましたが、最近のメディア報道を見ていると、拓郎の「知識」を思い出します。

本来、自由というのは多様で、他人に縛られない一方で、孤独も引き受ける勇気が必要なものだと思います。

反対にあるのが、自分の思うところはあっても、左右を見て出過ぎないようにする日本独自の風習だと思います。それが日本の美徳でもあり、一方では、それが戦争を止められなかった要因でもあると私は思います。

拓郎の「知識」は、出だしからして強いメッセージを持っていると思います。

「どこへ行こうと勝手だし、何をしようと勝手なんだ」

一見このフレーズは、とても自分勝手なように思えます。でも意味するところは全然違うように思うのです。

「髪の毛を切るのもいいだろう」と続きます。

この「髪の毛」は、同世代の歌を知っている人なら多くの人が「いちご白書」を思うのではないでしょうか。私もそう思います。「知識」は74年、「いちご白書」は75年なので、知識の方が先なのですが、

「髪を切ってきた時 「もう若くないさ」と君に言い訳したね」

ユーミンの書いたこのフレーズは、当時の時代の空気を感じさせます。

長い髪でいることが自由の象徴だった。皆と同じに、反対」と言っていれば良かった。でも、自分が就職する時、そういう訳にはいかないとみんながそれぞれに悟る。だって進んでいくことが必要だから。そんな自分の気持ちの後ろ暗さを「もう若くないさ」というフレーズに込めたんだと思うんです。

でも拓郎は言います。

「髪の毛を切るのもいいだろう。気疲れするのは自分なんだ」

過去を断ち切る。自分がそう思うなら堂々と行けばいい。周囲は冷たい視線を向けるかもしれないが、自分の生きる道だ。そう言っているように聞こえます。

拓郎は続けます。「上手くやるのもいいものだ。美味しいものには味がある。」

拓郎は、自由とはそういうものだと言っているように思うのです。

日本的な労働慣行と、例えばメジャーの野球を見れば分かります。

メジャーは機会は広く門戸を開く。成功すれば巨額の報酬がある。でも結果がでなければすっぱり契約を切る。上手くやれば大きな果実を手にできる。でも失敗すれば容赦がない。でも「気疲れするのは自分なんだ」そういうことなんじゃないでしょうか。

今、メディアの報道を見ていると、言論の多様性も、言論の自由も大事にされていないように思います。

放送法の議論も盛んにされていますが、既存の放送局の言い分は、存立の基盤が乱されるといいたいのでしょう。

でも時代は変わっています。誰もがメディアで発信することが出来るようになり、自宅でテレビをつけなくても、電車の中でもネットでニュースを読むことができるようになりました。そもそもyahooもgoogleも、ニュースのポータルに民放の割り当てはありません。好むと好まざるとに係わらず、文春でもポストでもゲンダイでもニッカンでも、いろんなメディアがフラットに表示されるのがネットのポータルです。そして皆それを普通の事だと思っているのではないでしょうか。


結局放送法の議論は、詰まるところ規制に結びつきます。

誰もが自由にテレビ放送もしてみたい。もしかしたらそんな時代なのかもしれません。

大河ドラマもずいぶん軽くなりました。史実を離れ、エンターテインメントに寄っていくなら自ずと軽重の判断も軽くなっていくのは仕方ないことでしょう。

テレビ局の経営者の意見などを聞いていると、拓郎がいう

「自由を語るな 不自由な顔で」

を思い出します。

そんな中、テレビ東京が「視聴者のメリットになるのであれば、我々民放も新しい提案をするチャンスが広がるということ。」としたのは目新しかった。

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先日、伊勢丹松戸店が閉店になりました。百貨店が閉店になるということは、街の光が消えるということで、寂しさで一杯です。


でも、要因はいくつもあり、郊外型SCやアウトレットの展開、ネット通販など私たちをめぐるショッピング環境は大きく変わっています。


軽井沢も幕張も、アウトレットの駐車場はクルマで溢れています。これだけの新しい市場が生まれれば、去っていく市場があるのもやむを得ないとも思うのです。結局伊勢丹は地方都市の駅近百貨店のビジネスモデルを見つけられなかったということだと思うのです。


でも活路は必ずある。アウトレットも郊外型SCも流行っています。市場はどこかにあるのだから。


拓郎は言います。「一人になるのに理由がいるか 理由があるから生きるのか」


拓郎は広島フォーク村、広島の仲間たちとのバンドを辞めて、単身一人で千葉に出てきた。歌手でプロでやっていきたいとの思いが抑えられなかったからだと自伝で読みました。知識の歌詞を見ているとそんな拓郎の考え方を感じます。


「一人になるのに理由がいるか 理由があるから生きるのか」


拓郎はこの歌詞の中で、「自由」の意味を語っている、そう思うのです。


by bjiman | 2018-03-31 23:08 | 青春の詩 | Comments(2)
Commented by 腹一杯 at 2018-04-01 11:25 x
更新ありがとうございます。
吉田拓郎の曲はほとんど知らないので、わかりませんが、
放送法改正に対して、マスコミの意見は「あなたが言うの?」という気がします。
あれほど、競争は善、談合は悪と言いつのってきたのはどこのどなたでしょうか?
と言いたいです。
真っ当な意見をテレビ東京が言うとは。とも思いました。
伊勢丹松戸店の閉店は残念ですね。私は百貨店好きですので。
ただ、最近AI仕事を奪われるーとマスコミがわめいているのは、あほらしいと感じております。
呉智房の本で読んだのですが、
銭形平次のドラマで「おまえさん、いってらっしゃい」と内儀が火打ち石を平次に切るのは、嘘だ。と。
あれは、明治時代にマッチが普及しだして、火打ち石職人が仕事が無くなり、験担ぎに使いましょう。と言いだしたもの。
だそうです。
つまり、AIで仕事が無くなるだろうけれども、新たに発生する仕事もあります。
もちろん経済学で言うある職種が無くなれば、違う職種に移れる。
というのは机上の空論で、一個人にとってはおおごとです。
それでもマスコミはどうも片手落ちな意見を言う傾向があると思います。
Commented by bjiman at 2018-04-06 00:43
腹一杯さんコメントありがとうございます。
まさに我が意を得たりというご意見をいただいて嬉しいです。仰るとおりかと思います。
構造改革だの規制改革だのと議論してきたとき、抵抗勢力だ守旧派だのと批判してきたのは誰だったっけ?と言いたいです。いやもっと言えばこれほど恥知らずな事を言っていて恥ずかしくないのかなとも思いますね。だから恥知らずなんでしょうけど。新聞もそうですけど、毎日毎日増税しろだの財政の均衡を図れだのと書いておいて、「新聞には軽減税率を」とまぁよく書けるものだなと呆れています。それと根っこは同じですね。「知る権利が侵される」というけど、新聞を読みたければ図書館に行けば見られるしネットでも見られる。そもそも新聞の購読者がどんどん減っている時に「知る権利が侵される」という主張も変だと思いますしね。
メディアは多様化してしまって、ネットとテレビの垣根もなくなっていると思います。ネットを見れば百花繚乱だけどもテレビを見れば公平感があると言いたいのでしょうけど、そうなっているでしょうか。そもそも自分たちがニュースで今何をしているか。政治も経済もワイドショーのように扱い、タレントをキャスターのようにして、お笑い芸人のコメントを取ってニュースをゴシップのように扱う。そんな事ばかりしていれば、一般のサラリーマンの支持が離れるのは当たり前の事だと思います。
また、仰るように、AIで仕事がなくなると騒ぐのはおかしな事で、時代が変わればまた新しい仕事もまた必要になる。むしろ最近の労働者不足を見れば分かるように、昭和の高度経済成長を支えた労働者がいない状況では経営方法が変わると思わない方がおかしい。吉野屋やコンビニが24時間営業を維持できなくなっている環境下で「仕事がなくなる」と騒ぐのはおかしな事です。一個人にとっては今の仕事がなくなれば収入が維持できなくなるということで大事ではありますが、一方では新たな仕事も日々生まれているんだと思います。老人介護もそうでしょうしね。ソフト面で、人が人をおもてなすような仕事、私が好きな日帰り温泉もそうですが、あちこちに源泉掛け流しの日帰り温泉施設ができました。新たなニーズが起きているということでしょう。喫茶店もクルマで寄れる店が凄く増えました。そういう風に、経済を現象面でもっと正確、冷静に捉えられればニュースも変わるとは思いますが、まぁ彼らが自己改革できるかですね。
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