自虐史観ということ

クルマジャーナリズムについて意見をするのはもう止めたつもりでしたが、ひとつだけ書き残していたことがあったので、覚えているうちに書き留めておこうと思います。

私がこの欄で書き続けていた自動車鼎談集(1984-1992)の中で、特に1992年に書かれた「ガソリン自動車の現在、過去、未来」の内容には納得のいかないことがありました。
1992年のこの段階で、ガソリン自動車から電気自動車へ未来は変わっていくのだろうということが何となく予想されていました。そしてそんな未来に向かって、この鼎談集の出席者達
は口々にこう指摘するのです。

「自動車メーカー以外の会社が参入してくる可能性がある。」
「それは絶対に日本の会社からは出ない。」
「きっとまた日本は欧米を追うことになる」
「日本から素晴らしいエレクトリックカーのアイディアは出ることはない」
「折りたたみバックミラー以外、日本人が作ったものはない」

そして、今日の本題。出席者の一人が、こう続けたのです。
「これだけ世界のカメラ産業を潰しておきながら、日本はオートフォーカスひとつ作ることができなかった。」
私が今回この項を起こしたのは、この事が書きたかったからです。
私は呆れてしまいました。こんなこと、まずカメラ雑誌で見ることはできない意見です。
私はこの数年、自動車雑誌に驚いたのは、きっと、1999年、長年の憧れだったシトロエンのクルマを購入していらい、すっかり満足して自動車雑誌に興味を失った代わりに、カメラ雑誌に夢中だったこともあると思います。

「日本はオートフォーカスひとつ作ることができなかった。」

こんなこと、カメラ雑誌には書いてありません。

この鼎談が収録されたのは1992年2月。調べれば分かることですが、巨額の損害賠償で話題になった「ミノルタ・ハネウェル特許訴訟」の判決が出た月です。
この出席者が、「オートフォーカスひとつ日本は作れなかった」と指摘しているのはおそらくこの判決を指しているのではないかと思いますが、カメラファンならご存じのとおり、このような批判は、的を射た正確なものではないし、知的でもないと思います。

ミノルタ・ハネウェル特許訴訟は、アサヒカメラで長年解説をされていた小倉磐夫さんの解説を読んで頂ければおわかりいただけるように、事実上の世界初のAF一眼レフカメラだったミノルタのα7000の搭載していたAF機構のピント検出原理が位相差によるものだったことが原因で位相差によるピント検出の原理の特許を取っていたハネウェル社が特許を主張して勝訴した裁判です。

この裁判では、巨額の賠償額だけではなく、ハネウェル社側の弁護士が、もしミノルタ側で闘ったらどうなる?と聞かれてハネウェルに勝てると話したことも異例のことだったと思います。
位相差でピントを検出する、といってもその原理そのものに目新しさがあるとは思えません。レンズを通ってきた像をセパレーターレンズという2つのレンズを通して2つの像を生成し、その像間隔が合っていればピントが合っているという検出方法で、もの凄く雑に言えば、ずっと以前からあるレンジファインダーの原理(2つのレンズから見た像をミラーレンズで合成してそのズレを目で見て合わせる)を電気信号による位相差に応用したようなアイディアであるように思います。実際、このハネウエルの特許申請は、日本では認められていなかったのです。

とはいえ、私は判決そのものに違和感はありません。
アメリカで認められた特許に抵触していたのは事実認定されているのでそういうことなのでしょう。しかし、そのことと、「日本は、オートフォーカスひとつ作ることができなかった」という言葉には大きな違いがあります。

もともとミノルタはハネウェルの位相差を用いてピントを検出するユニットを使う契約ををしていたけれども、ハネウェルの装置は、位相差によってピント量のズレを検出することはできるけれども、それを高速でレンズを動かして合わせるシステムにはなっていなかった。ミノルタはハネウェル社に改善を申し入れたけれどもなかなか出来なかったので、位相差による検出方法は用いるものの、独自の計算方法と方式の異なる東芝製のセンサーを用いて高速AFを実現したことから一眼レフでAFが定着するきっかけになったというものです。

技術というのは誰か一人が作るものではありません。AFシステムにとって、フォーカシングスピードは何よりも重要です。実際、この特許訴訟では独自のセンサーを開発した東芝は訴訟の対象になっていません。高速AF一眼レフは、ミノルタだけでも作れなかったでしょうけれど、ハネウェルだけでも作れないのです。
もし原理だけに価値を置くなら、2つの像から距離のズレを検出するという考え方は、ハネウェル以前のレンジファインダーにもあります。私のFUJI GA645のようなコンパクトタイプのカメラが採用しているパッシブ方式のAFは、このレンジファインダー的な三角測距の原理を用いたものです。三角測量方式のオリジナルを辿っていくと古代ギリシアの哲学者、タレスまで戻ります。
もし原理だけを問題にするなら、ライカのレンジファイダーだって、こうした先人の知恵なしにはできなかったのです。
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もっと技術というものを考え、発展させてきた方々に敬意を払うべきでしょう。
日本の先端技術は、カメラを発展させてきた過程の中で大きな役割を果たしてきたのです。
今日のように、一眼レフが普及したのも、もとはと言えばペンタックスが、クィックリターンミラーを開発したからです。
ペンタックス以前の一眼レフは、一度シャッターを切るとミラーアップされたままになるのでファインダーがブラックアウトするというものでした。これでは普及できません。
これをペンタックスが瞬時に元の位置に戻るクィックリターンミラーで解決し、ペンタプリズムを用いて今日の一眼レフの形にまとめ上げたのがペンタックスAPです。

技術は、多くの先人のリレーなのだと思います。世界の誰かが考えたことを、また別の世界の誰かが発展させていく。そういうものだと思います。そういう世界の科学の歴史の中で、日本の果たしてきた役割も大きかったのですし、オートフォーカスカメラも、原理を生み出したのはハネウェルでも、それを現実の高性能な商品にし、普及したのは日本である、という風になぜ思えないのか私は不思議でなりません。これも一種の自虐史観なのではないでしょうか。

リンクを貼った訴訟解説の中で、小倉氏は、判決の結果は「双方の弁護士の戦闘能力の差であろう」としつつ、ミノルタの開発した優れたAF性能について、「日本の半導体産業の水準が、アメリカのというべきか、少なくともハネウエルの半導体技術の水準を確実に追い抜いたのである。」と評しています。これが客観的で専門的な見方というべきでしょう。

損害賠償についていうならば、ミノルタはこの訴訟で巨額の賠償金を払わされましたが、同じように損害賠償を求められたリコーは、ハネウエルの発売している製品についてリコーの特許を侵害していないか調べた上でハネウエル社を逆提訴し、結果として双方提訴取り下げという結果を勝ち取りました。

裁判の勝ち負けは戦術的な事も絡む、ただ言うなりになるのではなく、何かができるのではないか、そう考えてみる。
「日本は、オートフォーカスひとつ作ることができなかった」と評するのと、どちらがいいですか?
私はもちろん、小倉氏のように、リコーのように考えるべきだ、という風に語り継いでいきたいと思います。
「考え方」は育てるより他にないのです。

冒頭に戻れば、未来の移動手段に自動車メーカー以外のメーカーが参入するのではないか、というこの鼎談の予想は、米国のテスラモーターズによって当たりました。
一方、テスラモーターズの電気自動車の電池は、パナソニックと共同で開発されています。
FCVの技術では、トヨタ・ミライが独自技術を確立して市販車を発売したという点で、一歩リードしているように思います。
こう書くと、電気自動車が主流で、FCVが主流になれないのでは?という意見もよく自動車ジャーナリズムでは見られましたが、それはこの先の勝負でまだ誰にも未来は分からないのです。少なくとも、エレクトリックカーの世界で、トヨタのハイブリッド技術が世界的規模で普及し、技術をリードしたという点は動かないのではないかと思います。

私たちの歴史を私たちが学び、それを客観的に評価しないでどうするのか、それがいつも考えていることです。

2016.3.8 bjiman

by bjiman | 2016-02-09 05:00 | その他のカメラ・レンズ機材関係
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