SONY RX100 と過ごした1月~ニューフィル千葉・ニュイヤー~

2013年1月のいちばんの出来事は、14日の大雪。
最近は何かあると、すぐにツマのRX100を借りてしまいます(笑)

(1) こんな降ったの、何年ぶりかなというほどの雪でした。 (SONY Cyber-shot RX100、以下すべて同じです。)
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(2) 前日の13日は、とってもいいお天気でした。この日は千葉県のオーケストラ、「ニューフィル千葉」のニューイヤーコンサート。松戸から千葉は、新京成電車で直通で行けるようになったので、ずっと座って乗り換えなしで行けるから便利です。
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千葉中央駅は、京成ホテルと直結しています。
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こじんまりしたホテルですがシックな内装に改装され、現在はディズニーランドのパートナーホテルにもなっているようです。そのせいかミラマーレなんて名前がついていますが、昔から知っている名前の京成ホテルの方がシンプルで好きですが(笑)
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(3) ホテルを出るとあらいい天気。消防署が目に入ってきます。
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(4) 千葉市中心部では、このモノレールが景観上の特徴のひとつですね。
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上の写真のピクセル等倍。RX100は2000万画素もあるから、安心してトリミングが出来ます。
モノレールの終点の様子がよく分かります。終着駅というのはどのようなものでもある種のノスタルジーがあるのではないかと思います。
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(5) ウチのシトロエン君も13年生なので 「次」 はいつも考えていますが、最近はこの レクサス Ct が気になっています。プリウスのレクサス版ということのようですがしっかりした作りで人気も上々とか。私はずっとシトロエンに憧れていましたが、これからはなるべく 「メイドインジャパン」を応援しようと思っています。私たちの時代は輸入品に憧れ、一度は使ってみたいと思ってきた世代でした。国産といえば、VWみたいな、ポルシェみたいなクルマ、マーチンみたいなギター、ブルックスみたいなブレザー、、、といつも「○○みたいな」製品を愛用しながら、いつかは本物を、とどこか卑屈な気持ちを持ちながら、それでもどこか憎めないという愛着もあり複雑な思いでいました。しかし、Japan as No1の時代以降は、少し自信がついてきたのではないかと思います。私も愛用したユーノス・ロードスター以後は、メルセデスやBMWがこぞって2座ロードスターを発表し、あぁ欧州車でも日本車の影響を受けるのか、とはじめて思ったものです。ユーノス自体はイタリアのバルケッタやイギリスのロータスなどの系譜にあったとしても、あの時代、誰もやらなかった2座ロードスターを手間のかかるFRシャシーをわざわざ起こして実際に作ってビジネスにするという発想が大胆でした。あの頃、初代セルシオや4WDのスカイラインGT-R、HONDA NSXなど日本車全体が活気のあった時代でした。しかし最近は、あの頃のような勇気や元気が今ひとつだなぁと思うこともしばしば。そのような中、トヨタは熱気の感じられるクルマを送り出しているように感じます。大胆なクラウンのモデルチェンジなども好感を持ちましたし、また、それが市場に受け入れられている事にも勇気づけられます。今日本は、お互いがお互いを熱気で結んでいく必要がある時代なのではないかと最近は思っています。
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(6) 千葉県文化会館は、なかなかシャープで個性的な外観です。
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(7) この一角は、千葉県を支配した千葉氏の本拠地のあった場所です。千葉氏の居城はいわゆる館形式でお城ではなかったようですが、なぜか今ではここに天守閣があります(笑)。これは千葉市の郷土博物館です。お城は好きですが、何だかなぁとも思います(笑)
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(8) 千葉県文化会館は、札幌のkitaraのような有名なホールではありませんが、私たちには十分楽しめる素敵なホールです。
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(9) 本場ウイーンでのウィーンフィルのニューイヤーは和服の日本人が多いことでも有名だそうです。ということは特に無関係なのですが、ハレの日といことで私も大島で出かけました。
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(10) ニューフィル千葉のニューイヤーは2011年から3年連続で来ていますが、若い指揮者の方のセンスなのかフレッシュでとても楽しめるコンサートです。今年は小林沙羅さんの見事なソプラノが楽しめました。遠いウィーンの本物をテレビで見るのもいいけれど、やっぱり音楽は生で楽しみたい。それも地元でゆっくり楽しむのが私は好きです。地元のオーケストラがあるのは素敵なことだと思いますし、いつもは小学校などを巡回して音楽教室を開いていたりと地元にとっては大切な音楽の宝です。
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私がシュトラウスのニューイヤーに親しんだのはここ数年のことですが、最初にクラシックに詳しい友人にシュトラウスのワルツはいいと思ったけれど、と助言を求めたとき、その友人は、シュトラウスなら(オリジナルである)クレメンス・クラウスを聴くべきで、あとは(クラウスの香りを引き継いだ)ボスコフスキーを聴いておけば最近のはいいんじゃない?といい、あとオペレッタのこうもりならクライバー指揮を聴いた方がいい、と助言してくれました。実際聴いてみると彼のいいたいことが説明を聞かなくても分かったような気がしました。ニューイヤーコンサートを始めたのはクレメンス・クラウスの時代、現在でも1954年のコンサートをCDで聴くことができますがこれが凄い。ニューイヤーコンサートでは美しく青きドナウの冒頭、演奏が始まると拍手でいったん演奏が止まり、指揮者と楽団員が挨拶をするというのが最近の「形式」になっていますが、1954年のクラウスのニューイヤーはそんな形式的なものではなく、なにしろ短いポルカなどの曲は最初の前半の頃からどんどんアンコールされて同じ曲を繰り返してまた演奏するという文字通りの「アンコール」が続きます。最後のラデツキー行進曲の時など、実際に最初の冒頭が演奏されたときにもの凄い拍手で演奏が止まってしまう。今ではラデツキー行進曲のときは指揮者が会場の手拍子を指揮するのが慣例ですが、当時のニューイヤーはもちろんそんなことはない。「ニューイヤーコンサート」が商品として国際的に輸出されている現在とは違い、当時のニューイヤーは純粋にオーストリア人のためのコンサートだというのが感じられます。そしてクラウス指揮でファーストバイオリンだったボスコフスキーの時代(ボスコフスキーはクラウスばりに(ということはシュトラウスばりに)バイオリンをもって指揮をしたそうです)を聴くというのが基本なんだなと。
あと、クライバー指揮の「こうもり」も凄いものでした。「こうもり」序曲はニューイヤーではたくさん取り上げられるので私も何種類も聴いていましたが、クライバー指揮のバイエルン国立管弦楽団のこれは、まるでバイエルン・ミュンヘンのBMWのエンジンが唸っているような迫力で立ち上がり、ぐんぐん加速していく(実際にテンポも速い)ような感じで、あぁこれほど同じ曲でも違う雰囲気になるんだと感じさせてくれたものになりました。
友人のセンスも素晴らしいと思いましたが、さりげなく、そんな助言ができるような教養が身につけられるようになるのはいつの事やら、、、とため息をついた出来事でもありました。
と書いていてもキリがないのですが、ニューイヤーは(今は輸出品でも)これはオーストリア人のものです。。ラデツキー行進曲の手拍子をどんなに指揮者が指揮したところで、この曲は、オーストリアのラデツキー将軍が北イタリアの独立運動を鎮圧した際に、将軍を讃えるために作曲されたものですし、美しく青きドナウも戦争に大敗して落ち込むオーストリア人を励ますために書かれたものです。なによりこの曲は第二のオーストリア国歌と呼ばれ親しまれているもの。ニューイヤーコンサートの初開催は1939年。その前年の1938年はオーストリアがドイツに併合された年です。ラデツキー行進曲に熱狂し、美しく青きドナウを聴くということがどういうことか、分かることだと思います。私はシュトラウスのワルツ・ポルカが大好きですが、だからといって、ニューイヤーコンサートのようなものを日本で、日本人が大仰に構えるのは不自然かなとも思います。外国の歴史や伝統の一つとしてその系譜を知っておくことは必要だと思います。また、ずっとこのような伝統と歴史を持ち続け、その誇りを失わない姿勢も見習うべき点もあると思います。ただ、日本人である私たちにとっては、これからは歌舞伎や文楽、日本の伝統を覚えて体験していくことも心がけていこうと思っています。
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今日は文字が多すぎましたね。

2013.1.13~14 千葉にて
SONY Cyber-shot RX100
by bjiman | 2013-02-03 01:40 | スポーツ観戦・音楽鑑賞
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