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日曜日はのんびり幕張のアウトレットでお買い物

日曜日はのんびり幕張の「MITSUI OUTLET PARK」でお買い物。
SIGMA DP1 Merrill
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ちょっと安っぽいけど、近未来都市的な景観の中でのお買い物は、私のお気に入り。あまり広すぎないせいか、ツマもここは買い物がしやすいと言うのです。
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Fovクラシックブルーで仕上げてみました。
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独特の空模様でした。
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私が、ここ幕張のアウトレットに来るのは、長年銀座店にお世話になってきた「TEIJIN MEN’S SHOP」があるからです。
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若い頃は銀座店の店舗にせっせと通ってシャツを作ってもらっていましたが、今はそんな暇もないし、日曜日に幕張でのんびり買い物ができるここがいいと思っています。何と言ってもお買い得ですしね。
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この日は、夏ズボン2本を購入。今はストレッチだったり、洗濯機で洗えるウォッシャブルだったり高機能になっています。40%offでしたから、2本2万円くらい。
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ついでに、「NEWYORKER」でワゴンセールになっていた3000円のポロシャツを1枚。
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買わなかったけど、「買ってもイイかな」と思ったのは、カシオのEXILIM FRシリーズのコンパクトカメラ 。コンパクトで防水。ちょっとこれでアクティブに海で使ってみるかなと思ったけど、防水性能がそれほど高くないのと、単焦点だったので、スポーツカメラとしてはどうかな、、、と思って今回は買いませんでした。でも1万4千円くらいだったので、これはちょっと買ってみたいと思わせられるカメラです。
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夜。近未来風のモダンな都市景観を楽しみました。
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食事は隣のホテルで、気軽なビュッフェ。
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駐車場で。そろそろ洗車しないと、と思いつつ我がHSを記念撮影。
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そんなこんな1日でした。たまのアウトレットは、いい息抜きにもなります。
この頃はこの辺もアウトレットが多いので、地元の百貨店は厳しい経営環境が続きますが、私たち消費者も上手な買い物がしたいし、百貨店も旧態依然として高価なブランド品を定価で販売してばかりでは閑古鳥が鳴いてしまうし、良い経営転換のきっかけとしてもらえたら嬉しいと思います。その分地元の百貨店では(セールの時だけだけど)積極的に利用するにようにしています。

by bjiman | 2017-07-04 01:50 | 私の定番 | Comments(0)

Sansui monitor2130 を迎えて1週間

Sansui monitor2130を迎えて1週間経ちました。予想以上にうまく部屋にもフィットしてくれたと思います。
Sansui monitor2130 (JBL Professional2130+JBL 077+JBL Professional3105)/SIGMA DP2 Merrill
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とりあえずジュータンマットに直置きした時の最初の課題は低音域のブーミングでしたが、これも山本音響工芸の木製インシュレーターを設置してみたらすっきり解決し、かなり制振された感じで、床が振動している感じがかなり低減されたと思います。一方で、ブーミングしていた時の芳醇な感じも低減したように感じますが、この辺は全体のバランスということかと思います。木製インシュレーターはウレタン塗装でローズウッド風に塗装されていますが、これもmonitor2130の雰囲気に良くマッチしていると思います。(SIGMA DP1 Merrill)
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monitor2130の中心的なユニットは、30cmフルレンジのJBL Professional 2130。このユニットは、元々はジェームス・B・ランシングさんが1948年に発売したD131で、2130では、PA等のプロフェッショナル用途に合わせて、耐入力を100Wまで引き上げています。耐入力の引き上げにはボイスコイルのギャップの精密化などが必要なようで、その分価格も高く、1974年頃のD131の国内価格が1本49,400円であったのに対し、2130は1973年当時の価格が1本71,000円もします。30cmですのでフルレンジというよりはワイドレンジユニットですが、8KHzまでカバーした高音域の実力は十分で、中央のアルミのセンタードームからはかなりの音量の高音が出ています。ヴォーカルなどは生々しい音で再現されますし、発展型の後継機、楽器演奏用のE120はギターアンプでも使われるものですから、エレキギターのサウンドもご機嫌です。
2130も077も今では貴重なアルニコVマグネット仕様ですが、アルニコV=サウンドもご機嫌という風潮はちょっといかがかなと思います。確かに当時の周波数特性の表などを見ていると、フェライトマグネット仕様になってから低音域がアルニコ時代よりも下がっているものも見かけましたが、アルニコマグネットには減磁しやすいという特性もありますし、古いアルニコV仕様は、そういうものだと思って使う必要もあると思います。再着磁なんていう高度な技術もあるようですが、一般には特殊な世界の話だと思います。
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私のmonitor2130では、高域側をJBLのディバイディングネットワーク3105を通じてクロスオーバー周波数7kHzでTweeterのJBL077に分担。
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077は、JBLの著名なスタジオモニター4343にも用いられた2405の民生用バージョンで6.5kHz以上をカバーするスーパートゥイーターですが、105dB(7kHz)の最大音圧がありますから、かなりの音量の高音が出ます。といっても2130の方も101dBと驚異的な高能率なので、ネットワークでのアッテネーターのボリューム位置は、現在は「3」で聞いています。(写真は4の位置になっていますが、それを3に下げています。「1」側がマイナス側です。)
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よく見てみると、JBL Professional2130の30cmユニットは、コーン紙がかなりキレイ。アルミセンタードームも、70年代当時のものとは思えない輝きだし、エッジも新品同様です。2130は、コーン紙をアッセンブリー交換するリコーンキットが豊富に出ているので、おそらく、アッセンブリー交換されているのではないかと思います。
アルミセンタードームの接着部分の下を見ると、ダンピング材がちょっと垂れたのかそれを拭いたような跡が見られます。でもこういうリコーンキットが豊富に出回っているというのもBtoBビジネスでシェアを持つJBLならでは。コンサート会場ではまだかなりの2130が音楽を鳴らしているでしょうから、キットが必要ですし、そういう背景があって初めて豊富な中古の出物が良い状態であるのでしょう。長く使い続けられるという点では国産メーカーも見習うべき点があるのではないかと思います。
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このmonitor2130の個体は、どこかでキャビネットも再塗装したようです。30cmフルレンジのフレームに、キャビネットバッフルの黒塗装がはみ出ていますから、2130を装着したまま作業したのではないかと思われます。
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低音用のバスレフダクトが上に付いているというのもあまり見ない形式ですが、フロアのブーミングを考えると結果的には我が家では、このダクトが上にあったのは良かったと思います。耳を近づけてみると、重低音が響いてきます。
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とにかく、ご機嫌なmonitor2130。仲良くやっていけそうです。
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2017.6.24 bjiman
SIGMA DP1 Merrill
SIGMA DP2 Merrill

by bjiman | 2017-06-25 03:47 | PCオーディオへの道 | Comments(0)

(補足追記・写真追加)ニッサン・スカイラインについて(ジャーナリズムに意見しておきたいこと)⑦最終回

ニッサン・スカイラインについての最終回。少し時間が掛かりすぎましたが、スカイラインともなるとさすがに情報量が多く、私自身とても勉強になりました。

スカイラインが2001年にR34型からV35型になって一番変わったことは、2代目の初代スカイラインGT(S54)以来の直列6気筒エンジンをV6エンジンに変更したことです。それだけであれば、直裁に言って、トヨタ・クラウンだって後を追うように2003年に「ゼロ・クラウン」でV6に、マークⅡは、2004年に「マークX」になって、同じようにV6レイアウトを採用しています。メルセデス・ベンツもCクラスセダンの6気筒エンジンは、2000年登場のW203型からV6になっているのです。言ってみれば時代の趨勢なのですが、なぜかスカイラインはそんな事も議論になってしまう。それは、直列6気筒2000ccエンジン縦置きの長いボンネットのスタイルが、スカイラインGTのイメージとして定着してしまっているからだと思います。
(プリンス・スカイライン2000GT)
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しかし直列6気筒エンジンは、縦に長く長方形のエンジンになるので、レイアウトが制約されます。全長が長いということはエンジンを横置きにすると幅を取り過ぎてしまうので、エンジンスペースの全長を抑えて室内スペースを少しでも多く取るエンジン横置きのFF車に使うことができません。一方、V6レイアウトにすればおおざっぱに言えばエンジンが正方形になるので、縦置きのFR車でも横置きのFF車でも必要とするスペースは補機類のレイアウトを除けば一緒ですから、ひとつのエンジンで色々な車種を作れる。つまり開発しなければならないエンジンを減らすことができるというのが大きなメリットです。FR車の場合でもエンジンルームに要する長さが端的に言って半分で済むので、その分、室内スペースに向けたり、エンジンの重量配分を考えたりとレイアウトに自由度が増すことが大きなメリットになります。
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ヨーロッパでは、70年代から既にこうした多様なV6エンジンの使い方がされていました。プジョー・ルノー・ボルボの名前を冠したPRV・V6エンジンは、プジョー505と後継車の605のようにFR車とFF車、ボルボのFR車、ルノーやシトロエンのFF車、おまけにアルピーヌA310のようにRR車にまで多様に用いられ、V6エンジンの多様性・効率性を十分に活かして活用されました。一方日産は、1983年登場のY30型セドリック/グロリアで、トヨタ・クラウンよりも20年も早くエンジンをV6化し、フェアレディZのエンジンまでV6にしたのに、スカイライン/ローレルには直列6気筒のRB型を新開発し、結局Zにも載せたりと、やっていることが非常にちぐはぐでした。直列6気筒のRBを開発するなら、セド/グロをV6化した意味がなく、開発コスト負担が余計に掛かってしまっただけです。現在のスカイラインに載っているVQ型V6エンジンは、セド/グロの後継車のFUGAやフェアレディZのようなFR車にも、ティアナのようなFF車にも共通で使われ、また同じアライアンスグループのルノーや韓国のサムスン車にも使われています。このように、FF車・FR車を問わず多様に使えて、開発コストも低減できることがV6エンジンを使う経営の意味です。スカイラインをV6化することの意味というのは、スカイラインのデザインがどうこうではなくて、経営という面から見れば非常に普通なことで、むしろ80年代~90年代当時の日産の問題点って、こういう経営判断ができなかったことにあると思います。

          NISSAN・FUGA /SIGMA DP1 Merrill
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この記事を書き始めたのは、私は、年末にみた自動車ジャーナリストの、スカイラインV35型についての批判記事で、

「これまでスカイラインというクルマが作り続けてきた思いや伝統を微塵も感じさせない」
「このでぶなクルマに、スカイラインと名づけることに反対意見はなかったのだろうか。」
「いや、あったに違いない、ゴーン勢力に押し切られてしまったのだろう。」

という部分、特に、最後の「ゴーン勢力に押し切られた、、、」云々の評論に強い違和感を持ったことがきっかけです。
仕事をする上で、社会人として、私はこのような被害者意識を持ちたくないからだ、と書きました。ここまで書いてきたように、私が思うには、「ゴーン勢力に押し切られた」、、、は違う、むしろ全然逆なのであって、80年代にセド/グロをV6化した時、以後のスカイライン、ローレルやレパード等のLクラスのクルマを全部V6にするような効率的な判断が当時の日産の経営者に出来ていたのなら、日産はルノーに救済される前に自分で経営危機を避けられたのではないかと思うくらいです。

まとめましょう。
直列6気筒エンジンを追求した「R型」スカイラインの販売実績の推移を見直してみて、「このままでいい」と考えるでしょうか。いいわけがありません。
販売台数はずっと減少傾向で、なるほど評判の良かったR32型の時に下げ止まり感があり、「これで行ける!」と思ってもおかしくはありませんが、R33型で再び下がってしまっています。
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詳しい方なら皆さんご存じのとおり、R33型のセールスが伸びず、後継車のR34を開発する時、日産の開発陣の意見は2つに分かれていたことはよく知られています。
件の自動車ジャーナリストは、「これまでスカイラインというクルマが作り続けてきた思いや伝統を微塵も感じさせない」と書いていましたが、日産のホームページには文字通り、「スカイラインにかける開発者の思い」というV36スカイラインの時に作ったページがまだ閲覧できます。この中で、それこそ、「これまでのスカイライン」を作ってきた設計者の櫻井眞一郎さん、R32の伊藤修令さん、R33型とR34型の渡邉衡三さんが歴代スカイラインとV36スカイラインに対する思いを書いています。R33とR34の開発リーダーだった渡邉衡三さんのページを見てみると、R34を開発するときは、既にセダンの販売全体は不振の時代になっていて、当然、GT-Rの開発にも経営陣から難色が示されたこと、R32時代から開発に係わってきたエンジニアの水野和敏さんからは、V6エンジンを使った現代的なプラットフォームを提案され、「個人的にはその方が次期型スカイラインには相応しいと判断した」が、「投資額が大きくなりすぎるので断念せざるを得なかった」と、ちゃんと意見が分かれていた理由を書いています。
R34型の時、日産が直列6気筒エンジンの旧型プラットフォームを継続し、熟成される道を選んだのは、その方が開発コストを抑えられるからです。しかしその結果はどうだったでしょうか。R33型スカイラインはそれでも21.7万台売れたのに、R34型は6.4万台まで急激に販売が落ち込みました。これは市場から「ノー」と言われたも同然であり、途中で生産を打ち切られることになりました。R34の試乗記などを見てみると、できが悪かったのではないと思います。むしろ洗練されていたのでしょう。「ノー」と言われたのは、キープコンセプトの方針自体だと考えるべきでしょう。日産はそう判断したんだと思います。
このジャーナリストが批判している「このでぶなクルマに、スカイラインと名づけることに反対意見はなかったのだろうか。」という問いに答えるには、日産のホームページにあるスカイライン誕生秘話を読めば十分なんです。

2001年、V35型スカイラインとFMプラットフォームを共用するスカイラインのワゴン版、「ステージアM35」すごくモダンなクルマに生まれ変わった、と私は思いました。
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V35スカイラインの開発者だった水野和敏さんは、「別冊水野和敏」という雑誌の中で、V35の開発が日産のエンジニア時代でもっとも印象に残っている仕事だと書いていました。セダン不振の時代の中、「FRの高級車なんかもういらない」という会社の空気だったそうです。そんな中、次代のFR車がどういうものか必死に構想し、コンパクトなV6エンジンを重量配分が最適化されるように後方に置くFM=フロントミッドシップシャシーを提案、反対する社内を必死に説得して回ったと。反対する社内の空気感とは、R34スカイラインの開発時期とダブります。前述したように、R34の開発者だった渡邉衡三さんは、水野和敏さんからは、V6エンジンを使った現代的なプラットフォームを提案され、「個人的にはその方が次期型スカイラインには相応しいと判断した」が、「投資額が大きくなりすぎるので断念せざるを得なかった」と書いています。水野さんによれば、それをルノーから送り込まれてきたゴーンさんが「認めてくれた」と書いてあります。だから逆なんですよ。「ゴーン勢力に押し切られてしまったのだろう。」ではないんです。R33がセールス不振で、そんな中、経営が思わしくなかった日産は、新しくV6を起こして新型のFRシャシーを作るような開発費を掛けるなんてとんでもない、そういう空気感の中を、ルノーから来た外国人経営者が、日産再生の象徴にしたいという思いで開発を認めたということだと、日産のホームページにきちんと書いてあるんです。R34の時、水野さんは既にFMパッケージを構想していたので、V35スカイラインの原型であるショーモデル、XVLは、R34型が発表になった1998年の翌年、1999年の東京モーターショーで発表されます。つまり、同時並行で行われていたということです。これを否定するなら、それだけの材料がいる筈です。
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「ゴーン勢力に押し切られたんだろう」的な被害者意識を、私は好みません。そもそもゴーンさんて、日産が、スカイラインが憎いんでしょうか。そんなはずはないでしょう。彼は創業者でもエンジニアでも資本家でもありません。ルノー本体からいわば派遣されてきた経営者に過ぎず、彼の立場は、消費者に理解され、売れる車を作り、利益を上げて、株主などのステークホルダーに利益を還元しなければならない、そういうものです。開発をするのはエンジニアで、いいと思ったアイディアをどのように組み合わせて採用するのかが経営であって、ゴーンさん以前の日産は、それが出来なかったから経営危機になったんでしょう。V35スカイラインを批判するなら、そういう視点が欠かせない筈です。
(スカイラインV35 決してデブなどではなく、初めて国際的なディメンションを纏ったバランスの良いスタイル。フロントのヘッドライトは、水野氏の好みでポルシェ風になっているんだどか。→水野氏ご本人がそう書いていました。)
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自動車ジャーナリストは、V35スカイラインがデブだデブだと批判していましたが、なぜ、V35型のスカイラインの幅が、1,750mmになったか。その理由を日産は、スカイライン開発秘話の中でちゃんと説明しています。メルセデスのCとEの間、BMWの3と5の間に設定した。それは、国際的にも可能性があると考えたからだ、と。
「国際的な可能性」つまり日産は、ほぼ国内市場のみを考えて作られていたスカイラインを、輸出しようと考えた。そうするとグローバル的な観点から、自動車ジャーナリスト達から「欧州車に比べて細長すぎる」とさんざん指摘されていたスタイルを見直す必要があります。とはいえ、もともとスカイラインのサイズ的な位置は、BMWでいえば3と5の間にずっと置かれてきたということは、本ブログでも以前掲示した表を見れば明らかです。
むしろBMWの3は、R34時代の1740mmから時期型では1815mmになっているので、1,750mmでもちょっと細いくらいです。少しも「でぶ」などではないことは、この表を見ていただければが明らかだと思います。自動車ジャーナリストが、客観的な数値に基づかない記事を展開するなら、こうした事実をもって否定する以外にありません。
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最後に、スカイラインのポジションについて書きたいと思います。
現在のV37スカイラインが発表された時、私は、フロントにインフィニティ、後ろにスカイラインとバッジを貼ったその考えが分かりませんでした。
しかし、今回、プリンスからの歴史を振り返っていたら、「ハッ」と気づいたんです。プリンス・スカイラインは、もともと高級ブランドだったじゃないかと。
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プリンス自動車が1967年に日産に吸収される形で合併された時、プリンス自動車のエンジニア達はどういう気持ちだったかは分かりませんが、プリンス・スカイラインの伝説を作ったのは日産ではありません。プリンス自動車の櫻井眞一郎さん達です。プリンス自動車の「プリンス」の名前は1952年(昭和27年)の今上天皇の立太子礼に因み、初代スカイラインは、皇太子殿下の愛車でもありました。日産に合併される前の1964年、第2回日本GPで、1500ccクラスのレースでは1位~7位までをスカイラインが独占しているんです。御料車であるプリンス・ロイヤルも受注しています。(納入は日産に合併されてからでしたが。)こうした経過を考えると、プリンス自動車のエースであったスカイラインは、日産ブランドではなく、日産のプレミアクラスである「インフィニティ」ブランドで扱われるべきクルマではないのかと思います。
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R32の設計者でもあった伊藤修令氏は、プリンス自動車出身で、櫻井眞一郎氏の弟子でもあります。その伊藤修令氏がスカイラインの開発チーフになったのは、セブンスの開発の最後の所だったそうです。セブンスは桜井眞一郎さんが企画・開発したクルマですが、「都市工学」と言われたハイソカー的なコンセプトは、登場時から「スカイラインらしくない」と批判の嵐を浴びました。そのセブンスの企画の最後のところで、櫻井さんが身体を壊されて急遽、弟子だった伊藤さんにバトンが渡され、それを発表すすると「スカイラインらしくない」との批判を浴びる。。。伊藤さんが語ったスカイラインにかける開発者の思いを読むと、とにかく悔しかったのが、「櫻井さんが手がけなきゃスカイラインじゃない」という心ない批判だったそうです。考えてみて下さい、スカイラインの開発をずっと引っ張ってきたのは櫻井さんで、ケンメリのように走りからデートカー路線に舵を切ったのも櫻井さんなんです。それは純粋に日産の開発責任者として、ジャーナリストが単純に評価するような走りという要素だけではなくクルマが売れて、利益を還元するのはどういうことかということを、櫻井さんが深く考えていたということでしょう。
セブンスに2Drクーペが遅れて発表された時、開発者の伊藤修令さんは、2drには「20代の若い人が似合う」としつつ、2drの発売を後回しにした理由を、「このクラスのクルマの需要の大半は4drだから、そちらが優先でした」とはっきりコメントされています。これが、スカイラインを袋小路にさせる要因なのです。

ジャーナリストは、2Drの走りのいいクルマじゃなきゃスカイラインじゃないというけれど、実際の売れ筋は4Drなのです。高額車であれば、30代や40代のサラリーマンでなければ買えません。まして、R33の時代にもなると、エンジンのRB25DET・ツインカムターボエンジンの馬力はもはや250馬力にも達し、およそ普通の感覚では「速い」どころか「使い切れない」性能になってしまっていました。この番組の中で、R33の主管であった渡邉さんは、「使い切れる250馬力を」とコメントしていますが、司会者のジャーナリスト三本さんが、「使い切れないよ」と言い返すシーンが印象的です。もうR33の時代、スカイラインの速さとしての性能は、十分以上になっていたということなのでしょう。このR33時代も、2Drは台数が出ない、と渡邉さんは明言しています。
こうした過去の経過を考えれば、スカイラインがコンセプトを見直す時、本来のプリンス自動車時代のプレミア感から見れば、若者をターゲットとした2Drスポーツクーペではなく、プレミアなインフィニティのミドルクラスセダンとして4drセダンのコンセプトを再構築したことは、実は非常に正攻法の考え方ではないかと思います。
スカイラインの開発をずっとリードしてきた櫻井眞一郎さんが、インフィニティのミドルクラスとして設計されたV36のスカイラインを見て試乗した時、櫻井眞一郎さんが「よくぞ戻ってきたスカイライン」とコメントしていたことが印象的でした。「長いスカイラインの歴史を振り返って、"スカイラインって本当はこうじゃないのか?"という疑問を抱きながらスカイラインを作った人間がいたのではないかということですね。よくぞ戻ってきた、、、」と。その意味を、私はこう思うんです。
スカイラインは、もともとこういうクラスの、4ドアのスポーツセダンだった、、、と。

私は、自動車の批評は、縦軸(そのメーカーのラインナップ上の位置づけ。サイズ、格付け上の上・中・下)、横軸(同じクラスのライバル車)、そして時間軸(そのクルマがどういう歴史を持っているか、過去のセールス)を見なければ、どうしてこういうクルマになったのかが批評できないと思っています。逆に言えば、縦軸、横軸、時間軸を見てみれば、今のスカイラインのポジションは、まったくおかしくないということが、私が今回思った結論です。

(20174.7 補足追記)
お陰様でスカイラインの記事もたくさんの方に読んでいただくことができました。
冗長になることはよくありませんが、ご愛読に甘えて、この記事を書きながら考えていたことについて若干補足したいと思います。

(スカイラインー70年代という時代背景)
スカイラインを愛されている方のコメントを見ていると、スカイラインは、R32で終わったとか、ジャパンで終わった、とか、いろんなところで「終わった」と書いている方がいらっしゃいます。そもそもこの記事を書くきっかけになったジャーナリストは、R34で終わったと書いているのですが。
私は、スカイラインというクルマの販売推移を見ていると、やっぱりスカイラインの「華の時代」は、4代目C110ケンメリ(72年~)と5代目C210ジャパン(77年~)であり、コンセプトがややレースよりのR30、いわゆる鉄仮面スカイラインのところで販売が大きく落ちていることを考えると、「サーフィンラインの2drクーペ」だったジャパンまでがスカイラインだったという意見は分からないでもないと思います。ここでいう「スカイラインだった」の意味は、「若者文化としての、みんなが憧れた生活を感じさせるスカイライン」という意味です。
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この特集を書くときにずっと聞いていたのは、バズの「愛と風のように」と、GAROでした。
私は1970年代、海外放送のBCLに夢中になりながら、すこしづつラジカセで聞く音楽番組に惹かれていきました。そんな当時、ラジオから流れてきたGAROのメロディにいっぺんにとりつかれ、カセットに録って聞いたのが、1973年の日本レコード大賞大衆賞にも輝いた「ロマンス」という曲です。
ケンメリのスカイラインが大ヒットしていた73年頃、若者達はこういう「繊細な優しさ」に惹かれていたんだと思います。
それは60年代の日本グランプリにおけるスカイライン伝説や、ハコスカの49連勝とも違う、青春時代を迎えた若者達の悩みや葛藤、お洒落な未来というものだったのではないでしょうか。そして、そんな70年代の思い出を、過去を知る私たちは忘れることがありません。
(THE ALFEEは、売れなかった若かりし頃、GAROと同じ事務所で師弟関係にありました。坂崎さんの「ロマンス」には、GAROへのリスペクトが感じられます。)
そんな「ロマンス」の時代を過ぎ、スカイラインは新しいコンセプトを確立しきれないでいたんだと思うんです。
「スカイライン勝利の方程式」は、GT-R、レースで勝つ、6気筒24バルブエンジン、という要素だと思いますが、R30以降のスカイラインは、このすべてを備えていきながら販売台数を下降させつづけていきました。
だから、V35スカイラインを開発するとき、開発スタッフの頭の中にあったのは「従来のスカイラインではなかった」ということです。
その理由を、V35スカイラインの開発責任者だった宮内照雄さんは、
「スカイライン」ではなく、「理想のセダン」を追求した
「スカイライン」のイメージは固定されていて、市場が狭い
だから、「スカイライン」とは切り離して考える方が良かったのだ、としているのです。

よく少数意見も聞くべきだ、というジャーナリズムの論調を目にすることがあります。
少数意見も聞くべきなのは当たり前のことですが、例えば、それをクルマという商品に当てはめた場合、「それが商品として成立するのか」ということに意を配れない論調というのはとても子供じみた意見でもあるし、また、美しすぎる議論は時に空想ともなります。空想なだけならまだマシで、お花畑にいていただければいいのですが、それを相手(メーカー)に強制することは、時にユーザー無視の議論になります。

最近の例でいうと、レクサス・RCという2Drクーペを取り上げた記事で、RCの国内月間販売目標台数が80台だったのを取り上げて、「驚いた」「何とも寂しい数字である」としていたことです。「驚いた」というフレーズはこういう批判をする時によく使われるように思いますが、私から言わせれば「驚く方がおかしい」のです。
クルマの専門家であるジャーナリストが、今や国内で絶滅状態にある2drスポーツクーペ、しかも600万も700万もする高額車の販売目標が「少ない、寂しい」というその感覚こそ、一般のユーザーから乖離しているのであって、そのような批判記事を書いてRCのようなチャレンジを批判することが建設的であるとは、とても私には思えません。

4drセダンとして、全幅と全高をしっかりとって、居住性に配慮したスカイラインを見て、評価できないというジャーナリズムもまた、同じ轍を踏んでいると私は思います。

V35スカイラインは、北米でインフィニティブランドとして発売され、2003年度の「モータートレンドカーオブザイヤー」を受賞。
V37スカイラインは、北米で好調を維持。高級乗用車部門の2016年度ランキングで、メルセデスCクラス、BMW3シリーズ、レクサスES、メルセデスEクラスに次いでセダンでは全米5位に輝きました。北米では、昨年、BMWの5よりも、アウディよりも、「スカイライン」が売れました。
悲しいことに、こういう変化を前に、ポジティブな評価をしてくれるのは、常に外国であるという事実を前に、少しはジャーナリストの方は自省して欲しいと思います。
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2017.6.24 追記
こう書いている側から、やや旧聞になりますが、4月にスカイラインが販売60周年を迎えた際の朝日新聞の記事で以下のリンクのようなものがあり、少々呆れました。
タイトルがこうです。
「日産スカイラインが「還暦」 販売は最盛期の40分の1」
よくこんな風に書けるな、愛してないんだな、としか思えません。国内の販売成績のことだけ書いて、スカイラインが海外展開に転じたことは書かない。
国内販売は下降してきましたよ。確かにそれは事実かもしれない。だけど、そういう経過を踏まえ、数多くの検討を重ねて国内販売中心だったスカイラインを、日産はインフィニティブランドのセダンとして再構築した。そしてその結果、最初のリボーンしたスカイラインは、米国で2003年度の「モータートレンドカーオブザイヤー」を受賞。V37スカイラインは、高級乗用車部門の2016年度ランキングで、メルセデスCクラス、BMW3シリーズ、レクサスES、メルセデスEクラスに次いでセダンでは全米5位に輝きました。北米では、昨年、BMWの5よりも、アウディよりも、「スカイライン」が売れました。これが現実なんです。
私たちが克服し、備えるべき考え方とは、「販売は最盛期の40分の1」なんていうネガティブな内向きでしかない考え方ではなくて、グローバルな世界観なのではないでしょうか。世界はどう見ているのか、世界ではどう評価されているのか、そんな風に考えないと、世界が相互に関連しあい、お互いにいいものを流通しあっている現在にはついていけないよ、と言いたいですね。



by bjiman | 2017-06-24 17:33 | CAR | Comments(2)

レクサスHS250hの魅力とは

我が愛車、レクサスHS250hについて、後継車は作られず、代わりに米国で圧倒的な人気を誇るレクサスESにスイッチされるのでは?というニュースが出ています。
残念なことではありますが、ある程度、予想されたことです。
私は何度もこの欄で書いてきたとおり、レクサスHSというクルマは、フランス車、なかでもシトロエン派だった私から見ても、フランス車らしい雰囲気のクルマだと思いました。何と言っても長年愛用したシトロエンから乗り換えてほとんど違和感がなかったくらい。特に似ていたのが、高い位置にセンターオフセット気味に座る座席位置と、柔らかい内装の雰囲気です。こんな趣味的なクルマを500万円近い値段で売ってマーケットがあるのかな?というのが印象でした。でもそれが私にはとても魅力的でした。ほとんど即断即決のような形で購入したのはそういう訳がありました。

レクサス・HS250h
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レクサスHSのスリーサイズ(4,710mm×1,785mm×1,495mm)は、コンパクトなようでいて実際には結構大きなサイズで堂々たるクルマという風に見えます。それはそうでしょう、かつてのクラウンなどにあった5ナンバー車のサイズ(4,700mm以下×1,700mm以下)を全長・全幅とも超えているのですからそれはそうなんです。スバルが、レガシィの大型化に伴って、「かつてのレガシィ」のイメージを残すために国内専用車として発売したレヴォーグのサイズが4,690mm×1,780mmと近似であることからも分かるとおり、日本で日常的な使いやすさと広さを両立させようとすると、この辺りが適性ということになろうかと思います。HSはハイブリッド専用車でしたし、ボディデザインも空力を追求したデザインではありますが、プリウスよりは余裕方向に振られていることもあって、特に1,495mmと高い全高のお陰で乗り降りがしやすい点が◎だと思っています。後ろ姿を見ると、プジョー405とかルノー21とかかつて好きだったフランス車らしい雰囲気が感じられて好きですね。
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さて、代わりに登場すると言われるレクサス・ESですが、これはTwitterでも発信しているとおり、米国でのベストセラー・レクサスです。

米国の2016年のプレミアムカーランキングでは、1位は、レクサス・RX。4位がレクサス・ESです。アメリカのレクサスは、何と言ってもこの2車が販売の主力。LSでもGSでもありません。
(レクサス・RX)
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2016年の米国プレミアムカーランキングでESは全体の4位、セダンでは3位とメルセデスの主力・Eクラスより上です。でも日本ではこのような大型FFセダンは売れた試しがありません。実際ESは、かつてトヨタブランドで、「トヨタ・ウインダム」という名前で売られたことがありますが全く売れませんでした。アメリカではポピュラーな大型FF車のトヨタ・アバロンが日本では売られないのと同様の理由によるものと思います。大型の高級車は、メルセデスようなFR車でないとブランド力がないと思われているんだと思いますが、アメリカではもっと機能主義的なところがあります。FF車は第一に、まず広いですから。それに比べると日本市場はややロマン主義的です。
でも、国内セダン市場が縮小しているのであれば、日本専用車種を作るよりも、アメリカでのベストセラーカーを持ってくる方が合理的です。実際大型SUVのRXだって日本ではまずまず受け入れられています。狭い道では苦労もすると思いますが、その辺はブランドイメージを作っていく上で重要です。
、、、と残念ではありますが、HS位のサイズがアメリカで可能性がないかと言えばそんなことはありません。例えば日本では、ブルーバードのブランドが整理されて、ブルーバード・シルフィ→単にシルフィとなったクルマは、アメリカではセントラ(サニーの米国名)として売られ、米国ではコンパクトカークラスでは人気がある方です。2016年の米国販売ランキングでは、乗用車部門では全体の8位と、トップテンに入っています。ここら辺も日本市場とは全然事情が違います。
(旧型ブルーバード・シルフィ)
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ハワイで見かけたセントラ。日本ではシルフィとして売られるモデル。
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上のセントラと同型の国内バージョン・シルフィ
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レクサスHSのサイズは、現行型セントラよりちょっと大きい位で似通った位置にあります。本当は使いやすいサイズなんです。セダン好きの人にはまだまだ手頃な使い勝手のモデルとして私は貴重だと思っています。
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私のようなクルマ好きって、自分の今乗っている車が好きだなぁと思いながら、「次はなににしようかな」っていつも考えてる。そんなところがあります。HSの次もHSだと思っていましたが、それが叶わないなら、ESは好きなスタイルですが大きすぎるので、ISでコンパクトに行こうかな、、、と諦めかけたところで、ツマが「今のうちにHS、もう一回買っとく?」には思わず、「それもいいかも、、、」と思ってしまいました(笑)

by bjiman | 2017-06-23 02:12 | CAR | Comments(0)

4月2日雪の軽井沢④近衛文麿公別荘他

4月2日雪の軽井沢特集の最後です。
旧三笠ホテル見学の後、ランチをしてから訪問したのが、「近衛文麿公の別荘」です。

近衛文麿公別荘 SIGMA DP1 Merrill
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この建物は、近衛公が大正15年に別荘として購入したものだそうです。近衛公は軽井沢がお好きで度々訪れ、前回紹介した三笠ホテルにも来られている写真が残っていましたが、こんな別荘で避暑を過ごすという生活に憧れます。
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近衛文麿公のような身分の高い方が愛された別荘に、こうして訪問できる、内部も見学できるというのは凄いことだなと感慨に耽りつつ見学させていただきました。私が近衛文麿公に興味を持ったのは、敬愛する白洲次郎氏が親交があり、白洲次郎氏を扱った著作にもよく登場するので、、、、というのがきっかけです。(内部は写真撮影禁止でした。)
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近衛文麿公の別荘のすぐ近くには、軽井沢の開発者としても知られる雨宮敬二郎の邸宅(旧雨宮邸)が外観のみ見学できます。
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ランチは、旧軽銀座の、「パオム」というお店。
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この時のランチのオススメは、信州牛サーロインステーキ!
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このアピールが凄い
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実際、これは何というか、、、凄く美味しかったです。
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これはまた食べたいです。この時は春でしたから、ふきのとうのソースがちょっぴり苦いところなども春らしくて、、、
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とても感じのいい店内で。
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デザートにいただいたブルーベリーのヨーグルトも美味でした。
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たっぷり楽しんだ軽井沢。この後は駅前のアウトレットでちょっとお買い物を楽しみました。
そんな軽井沢の4月の旅特集。これで終わります。

2017年4月2日 @軽井沢にて
SIGMA DP1 Merrilll
Twitterもよろしくお願いします。


by bjiman | 2017-05-07 02:15 | 軽井沢が好き! | Comments(0)

4月2日雪の軽井沢③旧三笠ホテルは見応え十分!

4月2日、雪の軽井沢での旧三笠ホテル見学。このフロント・ロビーの景観に魅せられました。
SIGMA DP1 Merrill

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西洋の様式・習慣を、こうやって学んだのでしょう。
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13号室がないキーボックス。
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今では伝統ある軽井沢彫の家具ですが、このホテルが建設された頃は、まだ初期の取り組みだったとか。そんな初期軽井沢彫のテーブルと椅子が使われたそうです。
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カーテンボックスの頂部に、三笠ホテルのMの文字。
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窓枠は、二重のスライド式になっていますが、これが分銅の力で任意の位置に止まるように出来ているんだそうです。
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窓越しに見える雪景色がきれいでした。
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客室はいろいろなタイプがありますが、いずれもシンプルな意匠で好感が持てます。
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各部屋に暖炉があります。実際、雪景色のこの日でも、(すでに暖房は機能していませんから)寒くて寒くて、、、。
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忙しく、ゆとりのない日常を送っていると、こんな非日常の落ち着いた空間に逃げ込みたくなります。
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シンプルでかわいらしいランプシェード。今でも十分モダンですね。
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ピンクに塗られた室内ドア。全体がソフトなベージュ、薄いピンクがモチーフにされてコーディネートがかわいらしいですね。
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客室の外に集中して設けられているお手洗い。ドアは、同じピンク系の色でコーディネートされて、かわいらしい。タイルや洗面台はイギリスから輸入したんですね。
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廊下の雰囲気も、一言で言ってシンプル。ランプシェードはコケティッシュ。
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廊下の端々の日当たりの良いところに、こうしてサンルームがあります。お部屋から出てきて、ご友人同士、こうした日当たりの良いコーナーで、穏やかな語らいの時間が過ぎていったことを感じさせます。いいなぁ。。。

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ガラスの不均一さで、窓際の風景がゆがんで見えるってこういうこと。レトロな味がありますね。
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どのサンルームも、デザインの基本テーマにシンメトリーが伺えます。我が国のデザインでは、特に庭園のデザインなどシンメトリーというのではない美意識がありますが、西洋式は、あくまでもこうしたシンメトリーさが基本ですね。
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イタリアのレッチェで見かけたアパートでの景観。全てがシンメトリカルに配置された、同じ雰囲気のモチーフですよね。
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三笠ホテルの、1階から2階に上がっていく正面の景観。優雅なデザイン。
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お風呂は、今のような給湯施設がありませんので、、、
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、、、なので、ここから、ボーイがお湯を満たしに来るという仕組み。
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旧三笠ホテルの家具類には、一彫堂さんのものが多く納められているとのことです。今でも、一彫堂さんのほか、大阪屋家具店、シバザキさんの家具が展示されています。これはシバザキさんのです。シバザキさんのところの製品は今でもトチノキを使ったものが多く、塗料も一彫堂さんや大阪屋家具店さんとは雰囲気の違う塗料(一彫堂さんで伺ったら、今はウレタン塗装が多いようです。)を使っているそうです。
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この見事なつづらとテーブルは、一彫堂さんのでした。
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あやめがフューチャーされた丸い座卓。これも一彫堂さんの。
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これは大阪屋家具店製。みんな昭和初期~中期のものなのに、とても良好な保存状態です。
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まだまだ見ていたかったけど、次があるので、名残惜しく、ホテルを後にしました。旧三笠ホテル、見応え十分です。
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お土産には、この手ぬぐいを買いました。手ぬぐいは、日帰り温泉に行くときに常用しているので、いくらあってもいいのです。
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三笠ホテルのマークがフューチャリングされています。
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三笠ホテル特集を終わります。

2017.4.2@旧三笠ホテルにて
bjiman
SIGMA DP1 Merrill
bjimantwitter


by bjiman | 2017-05-03 16:50 | 軽井沢が好き! | Comments(0)

4月2日雪の軽井沢②旧三笠ホテルは見応え十分!

軽井沢の旧三笠ホテル、私は初めて見学しましたが、見応え十分でした。
雪景色の旧三笠ホテル:SIGMA DP1 Merrill
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入り口をくぐると、この偉容に圧倒されます。これは良さそうだなぁ!と。
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この日は、青空に雪景色が映える素晴らしいお天気でもありましたし。
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正面玄関の赤い屋根もかわいいですね。
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雪で寒い時期だったのに見学者がたくさんいらっしゃっていましたよ。GWはさぞかし混んでいるかな?
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旧三笠ホテルは、明治38年(1905年!)に建築・開業された西洋式ホテルで、創業したのは、明治製菓や日本郵船などで重役を務めたという山本直良(1870~1945)氏。音楽家の山本直純さんの祖父にあたられる方なんだそうですが、その方が、万平ホテルの佐藤万平氏の助言を受けながら作り上げたんだそうです。万平氏もライバルに塩を送るというというより、共に格式の高いホテルを揃えることで、軽井沢のブランド価値を創造しようとしたのかもしれませんね。
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ご興味がある方は、こちらを読んでいただければと思いますが、この貴重な建物は、昭和55年に国の重要文化財に指定されています。
設計も施工も日本人が行っており、洋風の、西洋であれば金属を使うような曲げ加工も木材を加工して西洋式のデザインを取り入れている点などが特徴だそうです。
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窓枠の優雅な丸いデザイン、天井を支える腕木などに見られるきれいに曲げられた加工。職人さんの高い技術を感じさせます。
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湾曲したブラケットが優雅さを演出していますね。
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正面玄関をくぐりましょう。歴史を感じさせる「ルテホ笠三」の看板が大事に掲げられています。きっと創業当時のものなのでしょう。
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すると最初に目に付いたのが天井に渡された多くの木材。自然の風合いをそのまま活かしています。お洒落だなと思いました。
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カーテンレールも木材で優雅に作られています。これはいい!
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重要文化財の指定書が飾られていました。当時の文部大臣・谷垣専一氏は、今の谷垣禎一氏のお父様ですね。
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ホテルの100年に亘る歴史が書かれています。ホテルは、近衛秀麿、渋沢栄一、大隈重信氏など、誰もが知る政財界を代表する方々の愛されたそうです。
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ホテルの宿帳が展示されていましたが、ふっと見ると、「M.S.Noghi」って、、、乃木希典だ!奥様とご一緒に宿泊されたんですね。そういう施設だと分かっていても、いざお名前を見ると驚いてしまいます。
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これがホテルのロビー。なんて優雅なんでしょうか。。。三笠ホテルは、軽井沢の鹿鳴館と言われたそうですが、まさに政財界の代表者達が集う社交場の雰囲気があります。
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さて、続きは次回。

2017.4.2 @軽井沢 旧三笠ホテルにて。
SIGMA DP1 Merrill

(twitter用には、DP1撮って出しのJPEGを使いました。ブログ用はX3FのRAWからTIFFを作ってアドビでWeb用のJPEGを作っています。)


by bjiman | 2017-05-02 02:40 | 軽井沢が好き! | Comments(0)

4月2日雪の軽井沢①

明けて4月2日の朝は、快晴でした。朝食はメインダイニング。朝のブレックファストは、何種類かのメイン、ジュースの種類を選びます。
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信州りんごジュースとコーヒー。
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パンは普通に英国式の山形パンです。
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ホテルオリジナルのジャム類が豊富にあります。
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私は、メインはベーコン。卵はスクランブルエッグでいただきました。
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1階と2階の間に見えるステンドグラス。亀は、万平ホテルとなる前身時代に、亀屋という屋号で営業していたことに因みます。
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私たちが朝食を終えると、既にチェックアウトしているお部屋も多数。このベッドスペースと窓際に仕切りがあるお部屋は、いつか私たちが泊まってみたいと思っているお部屋です。
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外は快晴。やった。
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お部屋にも、清々しい空気感が漂っていました。
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名残惜しいけどチェックアウト
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雪景色の万平ホテル。味わい深い宿泊になりました。
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また来ようって思いながら後にしました。 (SIGMA DP3 Merrill)
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さて、今回は、軽井沢駅前のトヨタレンタカーで、カローラ・アクシオを借りました。カローラのレンタカーは初めて。1300ccですが、小回りは効くし、運転しやすい車でしたよ。(DP1)
 
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向かったのは、ホテルからすぐ近くの、旧三笠ホテル。駐車場にカローラを滑り込ませると、なんと隣は、クラウン・マジェスタのレンタカーでした。
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ほんといい天気。有名な白糸の滝は、この道の先になります。
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この山道をほんのわずかに戻ると、三笠ホテルに着きます。
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素晴らしい外観!これは見応えがありそう!!!
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ということで、続きは次回。

2017.4.2 @軽井沢にて
SIGMA DP1 Merrill
SIGMA DP3 Merrill
ちょこっとTwitterしました。


by bjiman | 2017-04-30 08:51 | 軽井沢が好き! | Comments(0)

4月1日雪の軽井沢③

4月1日~2日の軽井沢。宿泊は、万平ホテルでした。このときの旅は、万平ホテルの割安な特別宿泊プランのご案内があっての企画でした。

雪景色の万平ホテル SIGMA DP1 Merrill
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泊まったのは、現在の万平ホテルの中でも最も歴史のある昭和11年築のアルプス館。2階の左側の部屋です。
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落ち着いた、非常に雰囲気の良い部屋です。
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ベッドとソファの洋室ですが、反対側には床の間風の設えと掛け軸があって、和風の趣。書は、明治時代、軍医制度の基礎を築いた陸軍軍医総監だった石黒况翁(きょうおう)氏のもので、軽井沢の清々しさを表現したものでした。
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こういうビロード生地のソファが懐かしいです。
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夏の避暑の時は、石黒况翁のいう清々しさが感じられる景観だと思いますが、4月1日のこの日、窓越しの景色は雪景色。これはこれで静寂さがあっていいものです。
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部屋の調度品は、軽井沢伝統の軽井沢彫のもので統一されています。見事なものです。
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この椅子もかわいいです。
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ルームキーも、もちろん軽井沢彫
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テレビ台も軽井沢彫。これ、欲しいなぁ。
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姿見と箪笥。
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軽井沢彫の図柄は、外国人のために作られたという歴史から、日本を感じさせる桜が最もポピュラーだと思いますが、他に葡萄柄なども多いようです。万平ホテルの軽井沢彫は、一彫堂さんのもので統一されているようです。
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ひまわり柄はめずらしい。
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バスタブは、いかにもレトロな洋館ホテルらしく、猫足の西洋式。
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美しい廊下を抜けて、食事のためにロビーに降りていきます。
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2階から1階に降りていく景観さえ、美しく、絵になる。
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万平ホテルでの華とも言えるのが、この素敵なメインダイニングでの食事だと思います。
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この夜は、お得な宿泊プランを選んでいたので、メニューはレギュラーとは別の少し簡易なものでした。折角の機会だったので、普通のにしておいた方が良かったかなとちょっと思いました。これはこれで美味しかったのですが。
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ワインでゆっくり過ごしました。
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すずらんのかわいらしい取り皿
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信州サーモンと、葉野菜のサラダ
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もちろんパンはホテルメード。
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野菜のクリームスープ
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白身魚のポワレと薄切りビーフのポワレは盛り込みで。白身魚までで予算が尽きた感じでした(笑)が。ここはエキストラを払っても信州牛に行きたかったところでした。
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デザート。これは美味しかったですね。
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連泊する人や、何度も来るというリピーターの方も安心。中華もあります。
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素敵な軽井沢での夜が更けていき、私もゆっくり寝られました。

2017.4.1 @軽井沢にて
SIGMA DP1 Merrill

by bjiman | 2017-04-29 15:41 | 軽井沢が好き! | Comments(0)

4月1日雪の軽井沢②

4月1日、関東地方ではまさにこれから桜、という春に向かっていくとき。
でもなぜか、こんな雪の軽井沢でゆっくりするのも悪くない。そんな風に思いました。  (SIGMA DP1 Merrill)
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旧軽井沢銀座の周辺、ちょっとだけリーズナブルな駐車場にパークして、歩き始めて。このレストラン、今度来たいな、と思いました。
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旧軽井沢銀座は、人もまばら、、、という感じではなく、まぁこの時期にしては想像より混んでるなあという感じでした。
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この手のお土産って普通あまり買う気にならないんです。でも、この日のこのお店で見たお土産は、美味しそうなものが多くて困ってしまいました。
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これはかわいらしかったな。買いませんでしたが。
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目的のひとつは、この喫茶店「ミカドコーヒー」でのんびりコーヒーをいただくことでした。
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ジョンレノンも愛したという、軽井沢名物のひとつ。ミカドコーヒーのモカソフト。コーヒー味のソフトクリーム。美味しいですよ。
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私、日頃の疲れもあって、ここで珈琲をいただきながらウトウト寝てしまいました。でも、ストレスってそうやって開放されていくもののようにも、、、(強弁)
これはDP3で撮ってみました。
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ミカドコーヒーの店内では私のような世代の者にはちょっと懐かしいものがありました。
これこれ、樽形スピーカー。私は高校時代、自作マニアでした。そういう自作ファンにはこういうタイプのスピーカー、懐かしいと思うんですよね。酒樽とか、桧の桶とか、いろんな既存の箱もキャビネットになりましたね。そんなマニアに愛された16cm(これを6寸半=ロクハンと呼ぶのも死語でしょうが。)フルレンジとか20cmくらいのフルレンジを入れるのが定番でしたね。この(おそらく)パイオニアのコアキシャル2WAY、PAX-A20のようなユニットは定番中の定番だと思います。(DP3)

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コーヒーじゆっくりしてから、また旧軽井沢銀座をブラブラ。軽井沢観光協会も、ちょっと雪景色
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軽井沢彫の家具類が大好きです。
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それでは、楽しみにしていた宿泊所。旧軽井沢銀座からは至極近く。万平ホテルに向かいます。。。

2016.4.1 軽井沢にて
SIGMA DP1 Merrill
SIGMA DP3 Merrill

by bjiman | 2017-04-19 02:21 | 軽井沢が好き! | Comments(2)