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Sansui monitor2130 を迎えて1週間

Sansui monitor2130を迎えて1週間経ちました。予想以上にうまく部屋にもフィットしてくれたと思います。
Sansui monitor2130 (JBL Professional2130+JBL 077+JBL Professional3105)/SIGMA DP2 Merrill
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とりあえずジュータンマットに直置きした時の最初の課題は低音域のブーミングでしたが、これも山本音響工芸の木製インシュレーターを設置してみたらすっきり解決し、かなり制振された感じで、床が振動している感じがかなり低減されたと思います。一方で、ブーミングしていた時の芳醇な感じも低減したように感じますが、この辺は全体のバランスということかと思います。木製インシュレーターはウレタン塗装でローズウッド風に塗装されていますが、これもmonitor2130の雰囲気に良くマッチしていると思います。(SIGMA DP1 Merrill)
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monitor2130の中心的なユニットは、30cmフルレンジのJBL Professional 2130。このユニットは、元々はジェームス・B・ランシングさんが1948年に発売したD131で、2130では、PA等のプロフェッショナル用途に合わせて、耐入力を100Wまで引き上げています。耐入力の引き上げにはボイスコイルのギャップの精密化などが必要なようで、その分価格も高く、1974年頃のD131の国内価格が1本49,400円であったのに対し、2130は1973年当時の価格が1本71,000円もします。30cmですのでフルレンジというよりはワイドレンジユニットですが、8KHzまでカバーした高音域の実力は十分で、中央のアルミのセンタードームからはかなりの音量の高音が出ています。ヴォーカルなどは生々しい音で再現されますし、発展型の後継機、楽器演奏用のE120はギターアンプでも使われるものですから、エレキギターのサウンドもご機嫌です。
2130も077も今では貴重なアルニコVマグネット仕様ですが、アルニコV=サウンドもご機嫌という風潮はちょっといかがかなと思います。確かに当時の周波数特性の表などを見ていると、フェライトマグネット仕様になってから低音域がアルニコ時代よりも下がっているものも見かけましたが、アルニコマグネットには減磁しやすいという特性もありますし、古いアルニコV仕様は、そういうものだと思って使う必要もあると思います。再着磁なんていう高度な技術もあるようですが、一般には特殊な世界の話だと思います。
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私のmonitor2130では、高域側をJBLのディバイディングネットワーク3105を通じてクロスオーバー周波数7kHzでTweeterのJBL077に分担。
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077は、JBLの著名なスタジオモニター4343にも用いられた2405の民生用バージョンで6.5kHz以上をカバーするスーパートゥイーターですが、105dB(7kHz)の最大音圧がありますから、かなりの音量の高音が出ます。といっても2130の方も101dBと驚異的な高能率なので、ネットワークでのアッテネーターのボリューム位置は、現在は「3」で聞いています。(写真は4の位置になっていますが、それを3に下げています。「1」側がマイナス側です。)
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よく見てみると、JBL Professional2130の30cmユニットは、コーン紙がかなりキレイ。アルミセンタードームも、70年代当時のものとは思えない輝きだし、エッジも新品同様です。2130は、コーン紙をアッセンブリー交換するリコーンキットが豊富に出ているので、おそらく、アッセンブリー交換されているのではないかと思います。
アルミセンタードームの接着部分の下を見ると、ダンピング材がちょっと垂れたのかそれを拭いたような跡が見られます。でもこういうリコーンキットが豊富に出回っているというのもBtoBビジネスでシェアを持つJBLならでは。コンサート会場ではまだかなりの2130が音楽を鳴らしているでしょうから、キットが必要ですし、そういう背景があって初めて豊富な中古の出物が良い状態であるのでしょう。長く使い続けられるという点では国産メーカーも見習うべき点があるのではないかと思います。
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このmonitor2130の個体は、どこかでキャビネットも再塗装したようです。30cmフルレンジのフレームに、キャビネットバッフルの黒塗装がはみ出ていますから、2130を装着したまま作業したのではないかと思われます。
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低音用のバスレフダクトが上に付いているというのもあまり見ない形式ですが、フロアのブーミングを考えると結果的には我が家では、このダクトが上にあったのは良かったと思います。耳を近づけてみると、重低音が響いてきます。
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とにかく、ご機嫌なmonitor2130。仲良くやっていけそうです。
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2017.6.24 bjiman
SIGMA DP1 Merrill
SIGMA DP2 Merrill

by bjiman | 2017-06-25 03:47 | PCオーディオへの道 | Comments(0)

(補足追記・写真追加)ニッサン・スカイラインについて(ジャーナリズムに意見しておきたいこと)⑦最終回

ニッサン・スカイラインについての最終回。少し時間が掛かりすぎましたが、スカイラインともなるとさすがに情報量が多く、私自身とても勉強になりました。

スカイラインが2001年にR34型からV35型になって一番変わったことは、2代目の初代スカイラインGT(S54)以来の直列6気筒エンジンをV6エンジンに変更したことです。それだけであれば、直裁に言って、トヨタ・クラウンだって後を追うように2003年に「ゼロ・クラウン」でV6に、マークⅡは、2004年に「マークX」になって、同じようにV6レイアウトを採用しています。メルセデス・ベンツもCクラスセダンの6気筒エンジンは、2000年登場のW203型からV6になっているのです。言ってみれば時代の趨勢なのですが、なぜかスカイラインはそんな事も議論になってしまう。それは、直列6気筒2000ccエンジン縦置きの長いボンネットのスタイルが、スカイラインGTのイメージとして定着してしまっているからだと思います。
(プリンス・スカイライン2000GT)
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しかし直列6気筒エンジンは、縦に長く長方形のエンジンになるので、レイアウトが制約されます。全長が長いということはエンジンを横置きにすると幅を取り過ぎてしまうので、エンジンスペースの全長を抑えて室内スペースを少しでも多く取るエンジン横置きのFF車に使うことができません。一方、V6レイアウトにすればおおざっぱに言えばエンジンが正方形になるので、縦置きのFR車でも横置きのFF車でも必要とするスペースは補機類のレイアウトを除けば一緒ですから、ひとつのエンジンで色々な車種を作れる。つまり開発しなければならないエンジンを減らすことができるというのが大きなメリットです。FR車の場合でもエンジンルームに要する長さが端的に言って半分で済むので、その分、室内スペースに向けたり、エンジンの重量配分を考えたりとレイアウトに自由度が増すことが大きなメリットになります。
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ヨーロッパでは、70年代から既にこうした多様なV6エンジンの使い方がされていました。プジョー・ルノー・ボルボの名前を冠したPRV・V6エンジンは、プジョー505と後継車の605のようにFR車とFF車、ボルボのFR車、ルノーやシトロエンのFF車、おまけにアルピーヌA310のようにRR車にまで多様に用いられ、V6エンジンの多様性・効率性を十分に活かして活用されました。一方日産は、1983年登場のY30型セドリック/グロリアで、トヨタ・クラウンよりも20年も早くエンジンをV6化し、フェアレディZのエンジンまでV6にしたのに、スカイライン/ローレルには直列6気筒のRB型を新開発し、結局Zにも載せたりと、やっていることが非常にちぐはぐでした。直列6気筒のRBを開発するなら、セド/グロをV6化した意味がなく、開発コスト負担が余計に掛かってしまっただけです。現在のスカイラインに載っているVQ型V6エンジンは、セド/グロの後継車のFUGAやフェアレディZのようなFR車にも、ティアナのようなFF車にも共通で使われ、また同じアライアンスグループのルノーや韓国のサムスン車にも使われています。このように、FF車・FR車を問わず多様に使えて、開発コストも低減できることがV6エンジンを使う経営の意味です。スカイラインをV6化することの意味というのは、スカイラインのデザインがどうこうではなくて、経営という面から見れば非常に普通なことで、むしろ80年代~90年代当時の日産の問題点って、こういう経営判断ができなかったことにあると思います。

          NISSAN・FUGA /SIGMA DP1 Merrill
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この記事を書き始めたのは、私は、年末にみた自動車ジャーナリストの、スカイラインV35型についての批判記事で、

「これまでスカイラインというクルマが作り続けてきた思いや伝統を微塵も感じさせない」
「このでぶなクルマに、スカイラインと名づけることに反対意見はなかったのだろうか。」
「いや、あったに違いない、ゴーン勢力に押し切られてしまったのだろう。」

という部分、特に、最後の「ゴーン勢力に押し切られた、、、」云々の評論に強い違和感を持ったことがきっかけです。
仕事をする上で、社会人として、私はこのような被害者意識を持ちたくないからだ、と書きました。ここまで書いてきたように、私が思うには、「ゴーン勢力に押し切られた」、、、は違う、むしろ全然逆なのであって、80年代にセド/グロをV6化した時、以後のスカイライン、ローレルやレパード等のLクラスのクルマを全部V6にするような効率的な判断が当時の日産の経営者に出来ていたのなら、日産はルノーに救済される前に自分で経営危機を避けられたのではないかと思うくらいです。

まとめましょう。
直列6気筒エンジンを追求した「R型」スカイラインの販売実績の推移を見直してみて、「このままでいい」と考えるでしょうか。いいわけがありません。
販売台数はずっと減少傾向で、なるほど評判の良かったR32型の時に下げ止まり感があり、「これで行ける!」と思ってもおかしくはありませんが、R33型で再び下がってしまっています。
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詳しい方なら皆さんご存じのとおり、R33型のセールスが伸びず、後継車のR34を開発する時、日産の開発陣の意見は2つに分かれていたことはよく知られています。
件の自動車ジャーナリストは、「これまでスカイラインというクルマが作り続けてきた思いや伝統を微塵も感じさせない」と書いていましたが、日産のホームページには文字通り、「スカイラインにかける開発者の思い」というV36スカイラインの時に作ったページがまだ閲覧できます。この中で、それこそ、「これまでのスカイライン」を作ってきた設計者の櫻井眞一郎さん、R32の伊藤修令さん、R33型とR34型の渡邉衡三さんが歴代スカイラインとV36スカイラインに対する思いを書いています。R33とR34の開発リーダーだった渡邉衡三さんのページを見てみると、R34を開発するときは、既にセダンの販売全体は不振の時代になっていて、当然、GT-Rの開発にも経営陣から難色が示されたこと、R32時代から開発に係わってきたエンジニアの水野和敏さんからは、V6エンジンを使った現代的なプラットフォームを提案され、「個人的にはその方が次期型スカイラインには相応しいと判断した」が、「投資額が大きくなりすぎるので断念せざるを得なかった」と、ちゃんと意見が分かれていた理由を書いています。
R34型の時、日産が直列6気筒エンジンの旧型プラットフォームを継続し、熟成される道を選んだのは、その方が開発コストを抑えられるからです。しかしその結果はどうだったでしょうか。R33型スカイラインはそれでも21.7万台売れたのに、R34型は6.4万台まで急激に販売が落ち込みました。これは市場から「ノー」と言われたも同然であり、途中で生産を打ち切られることになりました。R34の試乗記などを見てみると、できが悪かったのではないと思います。むしろ洗練されていたのでしょう。「ノー」と言われたのは、キープコンセプトの方針自体だと考えるべきでしょう。日産はそう判断したんだと思います。
このジャーナリストが批判している「このでぶなクルマに、スカイラインと名づけることに反対意見はなかったのだろうか。」という問いに答えるには、日産のホームページにあるスカイライン誕生秘話を読めば十分なんです。

2001年、V35型スカイラインとFMプラットフォームを共用するスカイラインのワゴン版、「ステージアM35」すごくモダンなクルマに生まれ変わった、と私は思いました。
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V35スカイラインの開発者だった水野和敏さんは、「別冊水野和敏」という雑誌の中で、V35の開発が日産のエンジニア時代でもっとも印象に残っている仕事だと書いていました。セダン不振の時代の中、「FRの高級車なんかもういらない」という会社の空気だったそうです。そんな中、次代のFR車がどういうものか必死に構想し、コンパクトなV6エンジンを重量配分が最適化されるように後方に置くFM=フロントミッドシップシャシーを提案、反対する社内を必死に説得して回ったと。反対する社内の空気感とは、R34スカイラインの開発時期とダブります。前述したように、R34の開発者だった渡邉衡三さんは、水野和敏さんからは、V6エンジンを使った現代的なプラットフォームを提案され、「個人的にはその方が次期型スカイラインには相応しいと判断した」が、「投資額が大きくなりすぎるので断念せざるを得なかった」と書いています。水野さんによれば、それをルノーから送り込まれてきたゴーンさんが「認めてくれた」と書いてあります。だから逆なんですよ。「ゴーン勢力に押し切られてしまったのだろう。」ではないんです。R33がセールス不振で、そんな中、経営が思わしくなかった日産は、新しくV6を起こして新型のFRシャシーを作るような開発費を掛けるなんてとんでもない、そういう空気感の中を、ルノーから来た外国人経営者が、日産再生の象徴にしたいという思いで開発を認めたということだと、日産のホームページにきちんと書いてあるんです。R34の時、水野さんは既にFMパッケージを構想していたので、V35スカイラインの原型であるショーモデル、XVLは、R34型が発表になった1998年の翌年、1999年の東京モーターショーで発表されます。つまり、同時並行で行われていたということです。これを否定するなら、それだけの材料がいる筈です。
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「ゴーン勢力に押し切られたんだろう」的な被害者意識を、私は好みません。そもそもゴーンさんて、日産が、スカイラインが憎いんでしょうか。そんなはずはないでしょう。彼は創業者でもエンジニアでも資本家でもありません。ルノー本体からいわば派遣されてきた経営者に過ぎず、彼の立場は、消費者に理解され、売れる車を作り、利益を上げて、株主などのステークホルダーに利益を還元しなければならない、そういうものです。開発をするのはエンジニアで、いいと思ったアイディアをどのように組み合わせて採用するのかが経営であって、ゴーンさん以前の日産は、それが出来なかったから経営危機になったんでしょう。V35スカイラインを批判するなら、そういう視点が欠かせない筈です。
(スカイラインV35 決してデブなどではなく、初めて国際的なディメンションを纏ったバランスの良いスタイル。フロントのヘッドライトは、水野氏の好みでポルシェ風になっているんだどか。→水野氏ご本人がそう書いていました。)
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自動車ジャーナリストは、V35スカイラインがデブだデブだと批判していましたが、なぜ、V35型のスカイラインの幅が、1,750mmになったか。その理由を日産は、スカイライン開発秘話の中でちゃんと説明しています。メルセデスのCとEの間、BMWの3と5の間に設定した。それは、国際的にも可能性があると考えたからだ、と。
「国際的な可能性」つまり日産は、ほぼ国内市場のみを考えて作られていたスカイラインを、輸出しようと考えた。そうするとグローバル的な観点から、自動車ジャーナリスト達から「欧州車に比べて細長すぎる」とさんざん指摘されていたスタイルを見直す必要があります。とはいえ、もともとスカイラインのサイズ的な位置は、BMWでいえば3と5の間にずっと置かれてきたということは、本ブログでも以前掲示した表を見れば明らかです。
むしろBMWの3は、R34時代の1740mmから時期型では1815mmになっているので、1,750mmでもちょっと細いくらいです。少しも「でぶ」などではないことは、この表を見ていただければが明らかだと思います。自動車ジャーナリストが、客観的な数値に基づかない記事を展開するなら、こうした事実をもって否定する以外にありません。
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最後に、スカイラインのポジションについて書きたいと思います。
現在のV37スカイラインが発表された時、私は、フロントにインフィニティ、後ろにスカイラインとバッジを貼ったその考えが分かりませんでした。
しかし、今回、プリンスからの歴史を振り返っていたら、「ハッ」と気づいたんです。プリンス・スカイラインは、もともと高級ブランドだったじゃないかと。
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プリンス自動車が1967年に日産に吸収される形で合併された時、プリンス自動車のエンジニア達はどういう気持ちだったかは分かりませんが、プリンス・スカイラインの伝説を作ったのは日産ではありません。プリンス自動車の櫻井眞一郎さん達です。プリンス自動車の「プリンス」の名前は1952年(昭和27年)の今上天皇の立太子礼に因み、初代スカイラインは、皇太子殿下の愛車でもありました。日産に合併される前の1964年、第2回日本GPで、1500ccクラスのレースでは1位~7位までをスカイラインが独占しているんです。御料車であるプリンス・ロイヤルも受注しています。(納入は日産に合併されてからでしたが。)こうした経過を考えると、プリンス自動車のエースであったスカイラインは、日産ブランドではなく、日産のプレミアクラスである「インフィニティ」ブランドで扱われるべきクルマではないのかと思います。
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R32の設計者でもあった伊藤修令氏は、プリンス自動車出身で、櫻井眞一郎氏の弟子でもあります。その伊藤修令氏がスカイラインの開発チーフになったのは、セブンスの開発の最後の所だったそうです。セブンスは桜井眞一郎さんが企画・開発したクルマですが、「都市工学」と言われたハイソカー的なコンセプトは、登場時から「スカイラインらしくない」と批判の嵐を浴びました。そのセブンスの企画の最後のところで、櫻井さんが身体を壊されて急遽、弟子だった伊藤さんにバトンが渡され、それを発表すすると「スカイラインらしくない」との批判を浴びる。。。伊藤さんが語ったスカイラインにかける開発者の思いを読むと、とにかく悔しかったのが、「櫻井さんが手がけなきゃスカイラインじゃない」という心ない批判だったそうです。考えてみて下さい、スカイラインの開発をずっと引っ張ってきたのは櫻井さんで、ケンメリのように走りからデートカー路線に舵を切ったのも櫻井さんなんです。それは純粋に日産の開発責任者として、ジャーナリストが単純に評価するような走りという要素だけではなくクルマが売れて、利益を還元するのはどういうことかということを、櫻井さんが深く考えていたということでしょう。
セブンスに2Drクーペが遅れて発表された時、開発者の伊藤修令さんは、2drには「20代の若い人が似合う」としつつ、2drの発売を後回しにした理由を、「このクラスのクルマの需要の大半は4drだから、そちらが優先でした」とはっきりコメントされています。これが、スカイラインを袋小路にさせる要因なのです。

ジャーナリストは、2Drの走りのいいクルマじゃなきゃスカイラインじゃないというけれど、実際の売れ筋は4Drなのです。高額車であれば、30代や40代のサラリーマンでなければ買えません。まして、R33の時代にもなると、エンジンのRB25DET・ツインカムターボエンジンの馬力はもはや250馬力にも達し、およそ普通の感覚では「速い」どころか「使い切れない」性能になってしまっていました。この番組の中で、R33の主管であった渡邉さんは、「使い切れる250馬力を」とコメントしていますが、司会者のジャーナリスト三本さんが、「使い切れないよ」と言い返すシーンが印象的です。もうR33の時代、スカイラインの速さとしての性能は、十分以上になっていたということなのでしょう。このR33時代も、2Drは台数が出ない、と渡邉さんは明言しています。
こうした過去の経過を考えれば、スカイラインがコンセプトを見直す時、本来のプリンス自動車時代のプレミア感から見れば、若者をターゲットとした2Drスポーツクーペではなく、プレミアなインフィニティのミドルクラスセダンとして4drセダンのコンセプトを再構築したことは、実は非常に正攻法の考え方ではないかと思います。
スカイラインの開発をずっとリードしてきた櫻井眞一郎さんが、インフィニティのミドルクラスとして設計されたV36のスカイラインを見て試乗した時、櫻井眞一郎さんが「よくぞ戻ってきたスカイライン」とコメントしていたことが印象的でした。「長いスカイラインの歴史を振り返って、"スカイラインって本当はこうじゃないのか?"という疑問を抱きながらスカイラインを作った人間がいたのではないかということですね。よくぞ戻ってきた、、、」と。その意味を、私はこう思うんです。
スカイラインは、もともとこういうクラスの、4ドアのスポーツセダンだった、、、と。

私は、自動車の批評は、縦軸(そのメーカーのラインナップ上の位置づけ。サイズ、格付け上の上・中・下)、横軸(同じクラスのライバル車)、そして時間軸(そのクルマがどういう歴史を持っているか、過去のセールス)を見なければ、どうしてこういうクルマになったのかが批評できないと思っています。逆に言えば、縦軸、横軸、時間軸を見てみれば、今のスカイラインのポジションは、まったくおかしくないということが、私が今回思った結論です。

(20174.7 補足追記)
お陰様でスカイラインの記事もたくさんの方に読んでいただくことができました。
冗長になることはよくありませんが、ご愛読に甘えて、この記事を書きながら考えていたことについて若干補足したいと思います。

(スカイラインー70年代という時代背景)
スカイラインを愛されている方のコメントを見ていると、スカイラインは、R32で終わったとか、ジャパンで終わった、とか、いろんなところで「終わった」と書いている方がいらっしゃいます。そもそもこの記事を書くきっかけになったジャーナリストは、R34で終わったと書いているのですが。
私は、スカイラインというクルマの販売推移を見ていると、やっぱりスカイラインの「華の時代」は、4代目C110ケンメリ(72年~)と5代目C210ジャパン(77年~)であり、コンセプトがややレースよりのR30、いわゆる鉄仮面スカイラインのところで販売が大きく落ちていることを考えると、「サーフィンラインの2drクーペ」だったジャパンまでがスカイラインだったという意見は分からないでもないと思います。ここでいう「スカイラインだった」の意味は、「若者文化としての、みんなが憧れた生活を感じさせるスカイライン」という意味です。
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この特集を書くときにずっと聞いていたのは、バズの「愛と風のように」と、GAROでした。
私は1970年代、海外放送のBCLに夢中になりながら、すこしづつラジカセで聞く音楽番組に惹かれていきました。そんな当時、ラジオから流れてきたGAROのメロディにいっぺんにとりつかれ、カセットに録って聞いたのが、1973年の日本レコード大賞大衆賞にも輝いた「ロマンス」という曲です。
ケンメリのスカイラインが大ヒットしていた73年頃、若者達はこういう「繊細な優しさ」に惹かれていたんだと思います。
それは60年代の日本グランプリにおけるスカイライン伝説や、ハコスカの49連勝とも違う、青春時代を迎えた若者達の悩みや葛藤、お洒落な未来というものだったのではないでしょうか。そして、そんな70年代の思い出を、過去を知る私たちは忘れることがありません。
(THE ALFEEは、売れなかった若かりし頃、GAROと同じ事務所で師弟関係にありました。坂崎さんの「ロマンス」には、GAROへのリスペクトが感じられます。)
そんな「ロマンス」の時代を過ぎ、スカイラインは新しいコンセプトを確立しきれないでいたんだと思うんです。
「スカイライン勝利の方程式」は、GT-R、レースで勝つ、6気筒24バルブエンジン、という要素だと思いますが、R30以降のスカイラインは、このすべてを備えていきながら販売台数を下降させつづけていきました。
だから、V35スカイラインを開発するとき、開発スタッフの頭の中にあったのは「従来のスカイラインではなかった」ということです。
その理由を、V35スカイラインの開発責任者だった宮内照雄さんは、
「スカイライン」ではなく、「理想のセダン」を追求した
「スカイライン」のイメージは固定されていて、市場が狭い
だから、「スカイライン」とは切り離して考える方が良かったのだ、としているのです。

よく少数意見も聞くべきだ、というジャーナリズムの論調を目にすることがあります。
少数意見も聞くべきなのは当たり前のことですが、例えば、それをクルマという商品に当てはめた場合、「それが商品として成立するのか」ということに意を配れない論調というのはとても子供じみた意見でもあるし、また、美しすぎる議論は時に空想ともなります。空想なだけならまだマシで、お花畑にいていただければいいのですが、それを相手(メーカー)に強制することは、時にユーザー無視の議論になります。

最近の例でいうと、レクサス・RCという2Drクーペを取り上げた記事で、RCの国内月間販売目標台数が80台だったのを取り上げて、「驚いた」「何とも寂しい数字である」としていたことです。「驚いた」というフレーズはこういう批判をする時によく使われるように思いますが、私から言わせれば「驚く方がおかしい」のです。
クルマの専門家であるジャーナリストが、今や国内で絶滅状態にある2drスポーツクーペ、しかも600万も700万もする高額車の販売目標が「少ない、寂しい」というその感覚こそ、一般のユーザーから乖離しているのであって、そのような批判記事を書いてRCのようなチャレンジを批判することが建設的であるとは、とても私には思えません。

4drセダンとして、全幅と全高をしっかりとって、居住性に配慮したスカイラインを見て、評価できないというジャーナリズムもまた、同じ轍を踏んでいると私は思います。

V35スカイラインは、北米でインフィニティブランドとして発売され、2003年度の「モータートレンドカーオブザイヤー」を受賞。
V37スカイラインは、北米で好調を維持。高級乗用車部門の2016年度ランキングで、メルセデスCクラス、BMW3シリーズ、レクサスES、メルセデスEクラスに次いでセダンでは全米5位に輝きました。北米では、昨年、BMWの5よりも、アウディよりも、「スカイライン」が売れました。
悲しいことに、こういう変化を前に、ポジティブな評価をしてくれるのは、常に外国であるという事実を前に、少しはジャーナリストの方は自省して欲しいと思います。
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2017.6.24 追記
こう書いている側から、やや旧聞になりますが、4月にスカイラインが販売60周年を迎えた際の朝日新聞の記事で以下のリンクのようなものがあり、少々呆れました。
タイトルがこうです。
「日産スカイラインが「還暦」 販売は最盛期の40分の1」
よくこんな風に書けるな、愛してないんだな、としか思えません。国内の販売成績のことだけ書いて、スカイラインが海外展開に転じたことは書かない。
国内販売は下降してきましたよ。確かにそれは事実かもしれない。だけど、そういう経過を踏まえ、数多くの検討を重ねて国内販売中心だったスカイラインを、日産はインフィニティブランドのセダンとして再構築した。そしてその結果、最初のリボーンしたスカイラインは、米国で2003年度の「モータートレンドカーオブザイヤー」を受賞。V37スカイラインは、高級乗用車部門の2016年度ランキングで、メルセデスCクラス、BMW3シリーズ、レクサスES、メルセデスEクラスに次いでセダンでは全米5位に輝きました。北米では、昨年、BMWの5よりも、アウディよりも、「スカイライン」が売れました。これが現実なんです。
私たちが克服し、備えるべき考え方とは、「販売は最盛期の40分の1」なんていうネガティブな内向きでしかない考え方ではなくて、グローバルな世界観なのではないでしょうか。世界はどう見ているのか、世界ではどう評価されているのか、そんな風に考えないと、世界が相互に関連しあい、お互いにいいものを流通しあっている現在にはついていけないよ、と言いたいですね。



by bjiman | 2017-06-24 17:33 | CAR | Comments(2)

レクサスHS250hの魅力とは

我が愛車、レクサスHS250hについて、後継車は作られず、代わりに米国で圧倒的な人気を誇るレクサスESにスイッチされるのでは?というニュースが出ています。
残念なことではありますが、ある程度、予想されたことです。
私は何度もこの欄で書いてきたとおり、レクサスHSというクルマは、フランス車、なかでもシトロエン派だった私から見ても、フランス車らしい雰囲気のクルマだと思いました。何と言っても長年愛用したシトロエンから乗り換えてほとんど違和感がなかったくらい。特に似ていたのが、高い位置にセンターオフセット気味に座る座席位置と、柔らかい内装の雰囲気です。こんな趣味的なクルマを500万円近い値段で売ってマーケットがあるのかな?というのが印象でした。でもそれが私にはとても魅力的でした。ほとんど即断即決のような形で購入したのはそういう訳がありました。

レクサス・HS250h
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レクサスHSのスリーサイズ(4,710mm×1,785mm×1,495mm)は、コンパクトなようでいて実際には結構大きなサイズで堂々たるクルマという風に見えます。それはそうでしょう、かつてのクラウンなどにあった5ナンバー車のサイズ(4,700mm以下×1,700mm以下)を全長・全幅とも超えているのですからそれはそうなんです。スバルが、レガシィの大型化に伴って、「かつてのレガシィ」のイメージを残すために国内専用車として発売したレヴォーグのサイズが4,690mm×1,780mmと近似であることからも分かるとおり、日本で日常的な使いやすさと広さを両立させようとすると、この辺りが適性ということになろうかと思います。HSはハイブリッド専用車でしたし、ボディデザインも空力を追求したデザインではありますが、プリウスよりは余裕方向に振られていることもあって、特に1,495mmと高い全高のお陰で乗り降りがしやすい点が◎だと思っています。後ろ姿を見ると、プジョー405とかルノー21とかかつて好きだったフランス車らしい雰囲気が感じられて好きですね。
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さて、代わりに登場すると言われるレクサス・ESですが、これはTwitterでも発信しているとおり、米国でのベストセラー・レクサスです。

米国の2016年のプレミアムカーランキングでは、1位は、レクサス・RX。4位がレクサス・ESです。アメリカのレクサスは、何と言ってもこの2車が販売の主力。LSでもGSでもありません。
(レクサス・RX)
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2016年の米国プレミアムカーランキングでESは全体の4位、セダンでは3位とメルセデスの主力・Eクラスより上です。でも日本ではこのような大型FFセダンは売れた試しがありません。実際ESは、かつてトヨタブランドで、「トヨタ・ウインダム」という名前で売られたことがありますが全く売れませんでした。アメリカではポピュラーな大型FF車のトヨタ・アバロンが日本では売られないのと同様の理由によるものと思います。大型の高級車は、メルセデスようなFR車でないとブランド力がないと思われているんだと思いますが、アメリカではもっと機能主義的なところがあります。FF車は第一に、まず広いですから。それに比べると日本市場はややロマン主義的です。
でも、国内セダン市場が縮小しているのであれば、日本専用車種を作るよりも、アメリカでのベストセラーカーを持ってくる方が合理的です。実際大型SUVのRXだって日本ではまずまず受け入れられています。狭い道では苦労もすると思いますが、その辺はブランドイメージを作っていく上で重要です。
、、、と残念ではありますが、HS位のサイズがアメリカで可能性がないかと言えばそんなことはありません。例えば日本では、ブルーバードのブランドが整理されて、ブルーバード・シルフィ→単にシルフィとなったクルマは、アメリカではセントラ(サニーの米国名)として売られ、米国ではコンパクトカークラスでは人気がある方です。2016年の米国販売ランキングでは、乗用車部門では全体の8位と、トップテンに入っています。ここら辺も日本市場とは全然事情が違います。
(旧型ブルーバード・シルフィ)
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ハワイで見かけたセントラ。日本ではシルフィとして売られるモデル。
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上のセントラと同型の国内バージョン・シルフィ
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レクサスHSのサイズは、現行型セントラよりちょっと大きい位で似通った位置にあります。本当は使いやすいサイズなんです。セダン好きの人にはまだまだ手頃な使い勝手のモデルとして私は貴重だと思っています。
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私のようなクルマ好きって、自分の今乗っている車が好きだなぁと思いながら、「次はなににしようかな」っていつも考えてる。そんなところがあります。HSの次もHSだと思っていましたが、それが叶わないなら、ESは好きなスタイルですが大きすぎるので、ISでコンパクトに行こうかな、、、と諦めかけたところで、ツマが「今のうちにHS、もう一回買っとく?」には思わず、「それもいいかも、、、」と思ってしまいました(笑)

by bjiman | 2017-06-23 02:12 | CAR | Comments(0)

Sansui Monitor2130② ~山本音響工芸のインシュレーターを試す~

Sansui monitor2130 が我が家に来てからまだ4日目ですが、とっても音が良く、空気感溢れる中に溶けこんでいくような、ちょっと熟成されたお酒のような味わいを楽しませてくれています。
しかし、フロア型のスピーカーなので、底面にジュータンマットを引いて直置きしていたのですが、低音がボコボコとフローリングの床を振動させるのが気になったので、早速対策してみました。こういうのはトライ&エラーなんだと思うので、あまり一度に費用をかけることはしたくありません。
そこで選んだのが、山本音響工芸というメーカーの出している木製のインシュレーター。
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この製品は、本体がアサダ桜材、まん中の尖ったピン型ベースが黒檀で出来ています。とても固い材なので、ピンの突き出た部分でスパイクとして重量を受け止めて振動を軽減させる効果も期待できるし、サウンドも低音のフロアとの干渉が防げる、結果的に音がスッキリするということらしいので、とりあえず導入してみました。
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このモデルには(大)と(小)があり、大きさが若干異なるのでどちらにするか迷ってメーカーに問い合わせてみたところ、フロア型なら大の方がいいですねぇ、、、ということでしたが、セカンドオピニオンも大事と秋葉原のヨ○○○カメラで聞いてみたところ、この手の製品は高いからいいとも言えず、また、原因がはっきり除去できるという保証もないので最初に買う物としてはあまり大きく、高価なものはオススメできないと良心的なご助言もいただき、(小)の方にしてみました。4個で5千円くらいで、ポイントも溜まっていたので、1万円以下で8個揃いました。
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早速セッティングしてみました。この製品は、まん中のピン型ベースによって、アサダ桜材のベースよりも約3mm程度浮いた状態で安定するように出来ています。これがインシュレーターとなって制振するというのですが、効果はどうでしょうか。。。音を出して台を触ってみると、台にまで振動が伝わっていると感じられる場合とそうではない場合があり、特定の周波数には効いているのかなと思いました。正直、劇的な効果は感じられませんでしたが、まぁきっと制振してくれているのでしょう。
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店員さんによれば、これで駄目ならゴム型のシールをインシュレーターに貼るといいと思いますがゴムは良い音の振動も消してしまうこともあるのでよく考えてみてください、とのことでした。
しばらくこれで様子を見てみようと思っています。

2017.6.21 bjiman

☆☆2017.6.22追記☆☆
改めてきちんと音だしをしてみて驚きました。低音のブーミングがすっかり取れて、、、いや取れすぎかと思うほど音が変わりました。よく言えば非常にクリアに、悪く言えば軽い感じになりました。制振効果はかなり高いという感じです。

☆Twitterでも色々書いていますので遊びに来てください。☆


by bjiman | 2017-06-22 00:50 | PCオーディオへの道 | Comments(0)

(補足追記)Sansui monitor2130 ~DreamComeTrue!私のオーディオ史~

我が家に、Sansui Monitor2130 がやってきました! (SIGMA DP2 Merrill)
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Sansui monitor2130は、当時、JBLの輸入代理店だった山水が、JBL社のPro用30cmフルレンジユニットのJBL 2130 を山水独自設計のエンクロージャーに納めたスピーカーシステムです。私が入手したモデルは、Tweeterに、JBLのスーパーツイーター・077 とネットワークにJBL Pro3105 を組み合わせてありました。これは、当時の山水のグレードアップの推薦例に準じたものです。
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メインとなる30cmフルレンジの2130こそ、私の理想のJBLです。このモデルの元々は、私の青春時代を魅了した、ジェームス・B・ランシングさんが、1946年にJBL社を創業して最初期のラインナップのうち、1948年に発売された当時のJBLを代表する38cmフルレンジD130 の兄弟モデルである30cmフルレンジのD131 であり、そのプロフェッショナルモデルという位置づけです。2130は、JBLのプロフェッショナルモデルとして、コンサート等のPA目的で開発されたものなので、大音量に耐えるよう、耐入力をD131の60Wから100Wに引き上げられている以外は、基本的には同一のモデルで、30cmフルレンジとしてこれ一発で、50Hzから8KHzまで、可聴帯域のほとんどをカバーしています。38cmフルレンジのD130と同一の強力な磁気回路を有し、能率は101dBと今日の低能率スピーカーとは一線を画す設計です。
D131には、JBL社を創業した当時のジェームス・B・ランシングさんの設計思想が強く反映されています。前職のALTEC時代、ALTEC A5に代表される劇場用の大型シアターシステムやあまりにも有名な同軸2WAYのスタジオモニター・604等の開発を行ってALTECの名前を世に知らしめましたが、ランシングさん自身は、「家庭用の高級スピーカーを作りたい」とぃう思いがあり、ALTECは5年で去ってしまいます。家庭用となると、業務用のような大型ユニットを何本も組み合わせたシステムは価格が高くなってしまいますし、最初に、1本で用が足りるフルレンジユニットを開発するというのはとてもよく分かる考えです。そして、特許などの複雑な関係があるようですが、コーン紙のカーブを浅く設計し、ALTECよりも一回り大型のボイスコイルとすることで高音域を伸ばした軽いサウンドを実現できると分かり、そこにアルミのセンタードームを直づけして、30cmや38cmという大口径でありながらフルレンジとしてこれ一本でそこそこ聴けるユニットを作ってしまった訳です。また、ALTECやWEとの特許紛争を避けるためとサウンドのために極性が逆相になっている点も特徴です。つまりプラスマイナスが逆。普通のスピーカーに電気信号が入ってスピーカーのコーン紙が前に出る部分で逆に動く。この逆相設定によって、正相の場合には音場の広がりを感じる場面で、音場感よりも明るく明瞭な前に出る初期のJBLサウンドの特徴が作られました。
現在のJBLは正相になっていますので、逆相で作られた時代のJBLサウンドを味わえるというのも、マニアの密やかな楽しみと言えます。
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初期のJBLのユニットのラインナップは、このD130、D131を中心に、高音用ドライバーとして、名器と言われる175DLH を使った本格的なホーンシステムか、砲弾型ホーンツイーターの草分けモデルである075 を組み合わせた2wayがベーシックでした。そして、このSansui monitor2130も、そんなベーシックな最初期のJBLサウンドを感じさせてくれる本当に私にとっては夢のようなモデルです。
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このモデルは、オプションとしてスーパーツイーター077で2wayにグレードアップされています。ネットワークの3105は、077のプロモデルバージョンである2405 と組み合わせるのが本来ですが、077でも特に問題はないでしょう。基本的に同一モデルですし、インピーダンスが2405は16Ωなので、8Ωの077の場合、音圧レベルが3dB高くなる筈ですからその分、ネットワークのアッテネーターで抑えればいいだけです。私はフェイズプラグがアクリル製で透明な077の方がプロ用でアルミ素材で出来ている2405よりも好きでした。どちらにしたって夢のようです。なにしろ2405といえば、あの有名なスタジオモニター・JBL4343にも使われているモデルですから!
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このモデルの魅力は、山水のほとんど手作りとも言えるエンクロージャーにもあります。素材を贅沢に使った、まるで自作キャビネットのような作りで、それでいて、フロントに組み合わされる天然檜材を用いているという手作りの七宝組子が素晴らしい!
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七宝組子は丸い円型の文様を少しずつ重ねて作られるもので、3500年前の古代エジプトでも使用されてきたという古い文様。 七宝とは仏教の言葉だそうで、円=縁がつながることに由来する吉祥文様だとか。古代から、幸せを願う文様として使われてきたものを家庭に置くというのもいいものだと思います。
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1974年に発売されたモデルとしては極めて状態の良いもので、とても嬉しいです。
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私は中学生の頃、自宅近くの電気店には、D131の兄弟機、D130を搭載したバックロードホーン(4530) に、075やLE175DLHを搭載したモデルが置いてあって、それをいつまでも飽きずに眺めていました。まさかあの大型バックロードホーンを家に入れるわけにはいかない(でも当時の山水のスピーカーラインナップにはこれと似た構成のSP-707J という家庭用モデルもありましたが、よほどスペースと予算に余裕のある人しか買えなかったと思います。)ので、このmonitor2130は、私にとっては手を出せる上限の「夢」とも言えます。とりあえず置いてみて鳴らした最初の印象は、非常にピアノがキレイに鳴るということです。バイオリンの高音もとてもキレイで鋭い。今までと異次元の聞こえ方がして今後の調整が楽しみです。
長く愛用したいと思っています。

2017.6.17 bjiman

2017.6.20補足追記
ネットワークのTweeterのレベル設定は、購入状態では写真にあるように「4」でセットされていましたが、聴感上高音がキツイ印象だったので、レベルをあれこれいじってみて、とりあえず「3」の位置でバランスしていると感じます。
現在の悩みは、フロアに薄いジュータンマット一枚挟んでいるだけで直置きしているので、フローリングの床に低音が響くこと。まずはインシュレーターを試してみようかと物色中です。

by bjiman | 2017-06-21 00:57 | PCオーディオへの道 | Comments(2)

DreamComeTrue! プロローグ(私のオーディオ史)

最近、スピーカーを買いました。それは、少年の頃から私が夢見ていたものでした。今回、偶然、かなり理想に近いものに出会うことが出来、入手することができました。そんな夢物語を書く前に、プロローグとして、少年時代のオーディオの夢を書いてみたいと思います。かなり私的な話です。
小学生の頃はBCLに夢中で、当時流行っていたナショナルのクーガとか、ソニーのスカイセンサーとかを電気店に行っては飽きずに眺めていた少年でした。でも天邪鬼的なところがあって、みんなが好きなクーガでもスカイセンサーでもない、東芝のTRY-Xの1500とか1600とかに何故か惹かれてしまい、トライX2000を愛機としていました。77年頃のヘタな写真が少し残っています。

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中学校の途中まではBCLもやっていたと思いますが、段々マセてくると、音楽が好きになってきました。小学生の頃から荒井由実とかオリビア・ニュートン・ジョンとかは好きでしたが、中学の頃は、尾崎亜美、大貫妙子、吉田美奈子さんに惹かれてきて、ラジオカセットが愛機になっていきました。その頃に使っていたのがSONYのICF1990MarkⅡです。
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その頃、ステレオ装置なんて自分では買えないので、自宅にあった古いサンヨーの4チャンネルステレオでレコードを聴くようになりましたが、4チャンネルのスピーカーのうち、特にリアスピーカーの貧弱さが不満でした。それで、そのスピーカーのバッフルを改造して、スピーカーユニットを自分で交換してみることにしたんです。それでCORAL FLAT-5II を入手して「自作のスピーカーシステム」を作ってみたんです。FLAT5Ⅱは廉価なユニットですが、当時の貧弱の4チャンネルスピーカーに付いていたユニットからすれば夢のようにカッコ良いユニットでした。これに満足した私はスピーカー工作の魅力にはまってしまいました。中学から高校に行く頃にはもうオーディオに夢中でした。
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といってもスピーカーユニットは高価ですので、もっぱら使えるのは中古品で、安いフルレンジを探して、長岡式バックロードホーンを作ったりしました。写真はもう高校時代末期のもので、偶然もの凄く安く入手したCOLALのプロ用ドライバーユニットをTweeter代わり(お金がないのでホーンは買えなかった)にしていて、フルレンジは、FOSTEXのFE203を使っていましたが、高校の文化祭の際に自分のFE203を外して高校に持ち込んでいたので、自宅のシステムは、バスレフエンクロージャーに入れていた同じFOSTEXの古いUP203をとりあえず付けておいた時のもの。
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高校時代にはスピーカーの「設計」に夢中になっていました。高価なユニットを買って作ることはできないので、もっぱら図面を書くだけというという趣味でしたが、書くだけなので、およそ買えないような38cmウーファーを使ったシステムとかアルテックにあったような複雑なホーンシステムを設計したりしていました。情報量だけはもの凄く吸収していましたので想像力だけはたくましかったのです。発売されていた各メーカーのスピーカーユニットのラインナップはほとんど全部頭に入っていましたが特に好きだったのが(ありきたりですが)JBLとALTECのユニットでした。その過程で、ジェームス・バロー・ランシング(James Bullough Lansing ) さんがとても好きになってしまいました。なぜなら彼の業績はもの凄いけれども、経営的には失敗続きで最後は今日の栄光を見ることなく自殺してしまうという悲劇のコントラストもありました。スピーカーを設計しているとき、もちろん好きなユニットのタイプというのがあって、軽量なコーン紙に強力な磁気回路を組み合わせて高能率のものが好みでした。こういうユニットはバックロードホーンとか大きなエンクロージャーに入れてやらないと低音が出ません。しかし、高能率な点がスピード感を感じさせて、当時の私にはそれが正義であるように感じられました。高校時代のオーディオ体験で、最もショックを受けたのが、ALTECのMODEL19(ALTEC A7のユニット構成のまま家庭用にアレンジしたモデル)のサウンドだということもありました。ALTECを代表する38cmユニット、 515には、彼の業績に敬意が払われて、彼が会社を去った後も、515ユニットには「ALTEC」のラベルではなく「Lansing」の彼のロゴが書かれたままでした。こういうところもにもアメリカの文化に惹かれたというのもあります。そしてALTECといえば同軸2WAYの604シリーズ 。ジェームスBランシングさんは、ALTECには自分が起業した会社の業績不振から引き取られた経緯もあって5年間しか在籍しませんでしたが、この間に、505ユニットと288ドライバーを使ったザ・ボイスオブ・ザ・シアターシステム を完成させ、世界中のスタジオで使われた「銀箱」 と呼ばれたモニタースピーカーを作り上げたんですから。彼が去った後のALTECは、ある意味彼の遺産を活かしながら経営していたようなものだと思うのです。そんな彼が、ALTECのような業務用ではなく、家庭用のスピーカーシステムを作りたいと起こした会社が、後にJ.B.L社となるジェームス・B・ランシングサウンド社なんです。この会社で彼が最初に添えたラインナップが、D130、D131、175DLHといったユニット群でした。このフルレンジのユニットとホーンドライバーの2WAYは、私の中で神格化された憧れとなりました。(次回に続きます。)

by bjiman | 2017-06-16 01:55 | PCオーディオへの道 | Comments(2)