カテゴリ:ギリシア神話が好き( 5 )

水仙 ~鏡写しの姿に見入って~

いつも水面を眺めるように頭をかがめている水仙のお花を見ていると、ギリシア神話の有名なお話、ナルキッソスのお話を思い出します。  (SIGMA SD15/SIGMA 70-300mmF4-5.6DG OS)
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森の妖精(ニンフ)の中にお喋りな「エコー」という女性がいて、彼女はとても気さくな、気のいい女性でしたから、浮気を繰り返す大神・ゼウスの頼みでゼウスが浮気現場から逃げる時間稼ぎをしようと妻のヘラとお喋りに興じているうちにヘラに意図がばれてしまい、人の声を繰り返すことしかできないように罰せられます。これが「エコー(こだま)」の語源でもある訳です。
そんなとき、森に狩りに来ていた金髪の美少年・ナルキッソスにエコーは恋をして、話しかけようとしますがエコーは人の声を繰り返すことしかできないので、ナルキッソスに相手にされず、辛さから身体が滅びて声だけのこだまになってしまいます。ほかにもナルキッソスは、その美しさゆえ女性達から恋を告白されても、相手にせず辛い思いをさせていました。とうとう復讐の神・ネメシスから罰せられ、湖面に映し出された自分の顔に自分だと気づかずに恋をしてしまい、水面に映った自分故、告白をしても応えて貰えず、触れようと水面に触れると映った自分が消えてしまうという苦しみを与えられます。
首をもたげて下を見ている水仙を見ていると、そんなナルキッソスの姿が目に浮かびます。
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ナルキッソスは湖面に映る自分を見つめたままそこから離れることが出来ず、ついには身体が滅びて亡くなった後に、水仙のお花が咲いていたそうです。
雨上がりの1月22日、ゆいの花公園で雨の雫を湛えて頭を垂れていた水仙のお花は、そんなナルキッソスの哀れな姿の生まれ変わりに見えました。
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ナルキッソスの名前は、「ナルシス」の語源で、水仙の名前(narcissus)にもなりました。
翌週の1月29日、お天気の良い日に、また水仙に会いに行ったところ、水仙はやっぱり頭を下げていました。もう終わりの時期ですね。
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ギリシア神話は、古代ギリシア人が語り続け、作られてきたものなので現代の私たちがその本当の意図を知ることは出来ないのですが、私には人間の奢りを戒めるお話が多いように思えてなりません。
このお話にもいくつかの罰がありますが、ひとつにはエコーの「おしゃべりによるゼウスの浮気隠し」。
浮気隠しが罪なのではなく、おしゃべりで神であるヘラを「騙せると思ったこと」が罰せられます。ギリシア神話ではしばしば神を恐れない人間の仕業が厳しく神から罰せられます。ここでいう「神」は、自然そのものであったり、摂理というものであったりと色々です。この辺はアイヌの山の神や水の神、、、色々な神(カムイ)がある考え方にも似ている感じがあります。
対して、ナルキッソスの罪は、人を傷つけて、なお思いやりのない気持ちでした。好意を寄せられたからといって必ずしも相手の気持ちに応える義務はありませんが、傷つけて平気で良いとは言えません。

「お天道様が見ていなくても俺が(自分を)見ている」と自分を律する姿勢を語ったのはプロ野球の松井選手ですが、逆に言えば、それだけ人間とは誰かが見ていないとサボったり、すぐに奢ったりしてしまいがちな生き物なんだ、、、と古代ギリシア人が思っていたのかどうかは分かりませんが。。。

2012.1.22~1.29
松戸市・ゆいの花公園にて
SIGMA SD15
SIGMA 70-300mmF4-5.6DG OS
by bjiman | 2012-02-01 00:55 | ギリシア神話が好き | Comments(2)

船首の女神像 イアソン・アルゴー号の航海

ギリシア神話で航海のお話というとトロイア戦争でのオデュッセウスの大航海が読み応えがあり、私も大好きなお話なのですが、こちらは神話というよりリアルな実話の性格が強く、ギリシア神話とは区別して考えられる場合もあります。
イアソンのアルゴー号の航海は純粋に神話らしいお話として印象深いものがありました。
ということで、今日はこんな1枚。

 船首像  (船の科学館にて:SIGMA DP2x,24.2mmF2.8)
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東京・お台場の船の科学館が閉館になるということで9月24日に訪問したことは以前書きましたが、急ぎ足で館内を見学しているときにこの船首像を見つけて「おっ」と足を止めてしげしげと眺めました。イアソンのアルゴー号のお話に出てくる船首像のイメージそのままだったからです。

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イオルコスという小さな国の王・アイソンは、弟のペリアスに王位を奪われ、息子のイアソンは半人半馬のケイロンに預けられて育てられました。成長するとイアソンはペリアスから王位を奪還するために故郷へ向かいます。一方ペリアスは予言の森・ドドナの神木から靴を片方だけ履いた者に王位を奪われるとの神託を受けていました。イアソンは故郷に向かう途中、川を渡る際に老婆に扮した女神・ヘラをおぶって渡り足を取られて靴を片方流してしまっていたので、ペリアスの前に現れたとき、靴を片方しか履いていませんでした。ペリアスはイアソンに王位を奪われると思い、無理難題を出して始末してしまおうと考え、地の果ての遠くにある軍神・アレスの龍が守る黄金の羊の皮を取って来られたら王位を譲ると提案。引くに引けないイアソンが出かける大航海がアルゴー号の航海のお話です。
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当代一の腕利き大工・アルゴスが腕を振るって作った快速船・アルゴー号の船首には、ドドナの森の神木から切り出した女神・アテナの船首像が取り付けられおり、この船首像の導きや、航海の途中で出会った魔女・メディアの活躍もあってイアソンの大航海は成功裏に終わります。。。
こんなお話なのですが、イアソンの大航海のお話はとても長くて、またその途中も大変興味深く読めるものですので、もしご興味がありましたら読んでみて下さい。

神話の世界に親しんでいると、「ゼウスはどんな顔だったのだろうか」にはじまって、ひと目見てみたいと思うものです。そういう意味で神話が描かれた絵画の世界に興味が向かうのも自然な流れ。でもそんなとき、こうして船首像の実物を見たときの感激は深いものがあります。
「ほんとにあったんだ!!!」という感じですネ。(この船首像は実物だそうですし)

ちなみにイアソンの航海は成功しましたが、妻としたメディアは魔女中の魔女。イアソンへの愛の為とはいえ猟奇的な事件を起こし、悪い評判が立つことを懸念したイアソンは王位を継承せずメディアとともに国を出てしまいます。後にメディアと悲劇的な別れを迎えてやがて孤独な老人となり、最後は朽ちたアルゴー号の船首像の下敷きになって亡くなったと伝えられます。

2011.11.15
SIGMA DP2x
by bjiman | 2011-11-16 00:19 | ギリシア神話が好き | Comments(3)

プロメテウスの火 

札幌では、大きな川の上などによくトビ(鳶)が悠々と飛翔している姿が見られました。 (2008.5.10 札幌市・モエレ沼公園近くのモエレ川にて) (Pentax K10D/Pentax DA18-250mmF3.5-6.3,250mm,1/500秒)
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トビはもっとも身近に見られる猛禽類ですが、レンズごしに見える表情はやはり猛禽類そのもので怖いですね。
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今日はギリシア神話の中でも有名なお話のひとつ、「プロメテウスの火」です。

ギリシア神話では、人間はティタン神族のプロメテウスが作った人形に大神ゼウスが息をかけて生命を入れたものとされています。プロメテウスは自分に似せて人形を作ったので最初の人間は男性だけでした。
プロメテウスは人間に文字や色々なことを教えよく面倒を見たので、人間はあっという間に増え、最初は賑やかに平和に満ちていた、と言われます。
しかし地上に増えた人間はと段々と傲慢になったのでゼウスは、火を取り上げてしまいました。
火を失って寒さに震える人間のためにプロメテウスは天上の火を盗んで人間に再び「火」を与えました。人間はその火によって文明を得たとされています。これが「プロメテウスの火」です。

しかしゼウスの意に反して天上の火を盗んだのでプロメテウスはゼウスに罰せられ、断崖絶壁のカウカサス山の山頂にはりつけられました
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はりつけられたプロメテウスのもとには、ゼウスに命じられた鷲が飛んできて、プロメテウスの肝臓をついばんでいきます。プロメテウスは不死の神なので、つばまれた肝臓は再生されますが、翌日には再び鷲が飛んできて再生された肝臓をまたついばむ。この繰り返しがゼウスの刑であり、刑期は3万年とされていました。
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「プロメテウスの火」はこういうお話です。
この後、ゼウスは再度人間を懲らしめるために、今度は「女性」を作って人間に贈り、その女性(パンドーラ)が箱を開けることによって厄災が人間を覆うことになるので、さきのプロメテウスの火と併せて、文明を得た人間は、同時に、厄災が覆う世界の中で希望だけを頼りに生きていかなければならなくなりました。

一度は人間から火を取り上げたゼウスが、なぜプロメテウスが与えた火を取り上げなかったのかは?ですが、「プロメテウスの火」が、文明と同時に厄災へと繋がっていくという点でとても興味深い物語です。

人間はプロメテウスの火で文明を起こしましたが、同時に武器や恐ろしいものも作って争いを起こし、厄災を引き起こしてもきました。
その意味で「プロメテウスの火」は様々に解釈され、しばしば原子力は「第二のプロメテウスの火」と例えられます。NASAの宇宙での原子力推進計画は「プロメテウス計画」という名前だったそうです。

プロメテウス(あらかじめ考えている者)は、しばし先見性のある者との意味にも解されます。そのプロメテウスが弟のエピメテウスに「ゼウスの贈り物には気をつけろ」と忠言するシーンが印象的だと書きました。
トロイア戦争でギリシア軍が考え出した「トロイの木馬」は、現代のパソコンウイルスソフトのウイルスパターン名にも使われています。「敵(からの贈り物)が、実は敵そのものであって、内部に潜んで忍び込み、相手を滅ぼすという形態から名付けられたものですが、こうした現象を前にソフトの技術者が「これはトロイの木馬じゃないか」と思いつくこと自体、欧米ではギリシア神話が現代に生きている証のひとつです。
トロイの木馬の物語は、しばし「外国からの贈り物には気をつけろ」という例えに引用されます。
欧米人の思考の中に息づく「古代ギリシア人の知恵」に思いを馳せてみるのも興味深いものです。

2011.11.14
by bjiman | 2011-11-14 01:33 | ギリシア神話が好き | Comments(2)

四粒のザクロの実~冥界の王妃・ペルセポネ、「季節」の始まり~

松戸・坂川沿いの小径にザクロの花が咲いたのは、6月の終わりの頃のことでした。 (SIGMA SD15/SIGMA70-300mmF4-5.6DGOS,300mm)
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  お花が終わった後、特徴的な形の実をつけます。
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  今日は、ザクロの実を4粒食べて冥界の王妃になったギリシア神話のペルセポネの物語に触れてみたいと思います。
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冥界の王・ハデスは長く独身でしたが、ある日、冥界と地上とのわずかな隙間から見えた女性・コレー(「乙女」の意)に一目惚れ。コレーは、大神・ゼウスとその姉・デメテルの娘だったことから、ハデスはゼウスに会いに行き、コレーをめとりたいと申し出て了承されます。
その際、女性好きで浮気者のゼウスから、「多少強引な方が男性は魅力的だ」といういいかげんな(笑)助言を受け、ハデスは強引にコレーを冥界に強奪し、自分の王妃・ペルセポネになってくれと懇願します。闇に包まれた冥界など嫌だと嘆き悲しむコレー。
それ以上に怒ったのがコレーの母・デメテル。自分に断りなくハデスとの結婚を許したゼウスに怒り心頭。デメテルは農耕の神であり、実りを司る神。大神・ゼウスの統率する世界で、彼のために実りを司るなどばかばかしいと彼女はコレーを返してくれるまでは農耕の神の仕事をしないと宣言。世界の実りはなくなりたちまち飢饉が世界を覆い、大神・ゼウスの立場は丸つぶれ。
やむを得ず、ゼウスは旅行の神・ヘルメスを冥界に使いに出し、コレーを地上に戻すよう命令します。
ゼウスの命令は絶対なのでしぶしぶ従うハデスですが、ひとつだけ、コレーにお願いをします。「ほんの少しでいいからザクロの実を食べて欲しい」と、、、
(ザクロの実:7月31日に同じ場所で。SD15/70-300mmF4-5.6,145mm)
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ハデスに優しくされたことやお腹も少し空いていたコレーは、この申し出を受けてザクロの実を12粒のうち4粒食べてしまいます。しかし冥界のものを食べると地上には帰れないという神の掟がありました。
デメテルと再会したコレーはデメテルから「冥界で何か食べなかったか」と聞かれてザクロの実を4粒食べたことを告白。掟を知っているデメテルは絶句してしまいます。神であっても掟には従わなければならないからです。
そこでゼウスが12粒のうちの4粒を食べたのだから、1年は12ヶ月だからその4粒分、年の1/3を冥界で過ごすように裁定し、コレーもこれを受け入れます。
かくて冥界の王妃・ペルセポネが誕生し、コレーは年に1/3は王妃・ペルセポネとして冥界で暮らしました。母のデメテルは1/3の間は嘆き悲しみ、その間、地上からは実りが消え、ペルセポネが帰ってくると地上には実りが戻りました。これが四季の始まりとされています。。。
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このお話は、四季の誕生を説明するのにとても良く出来たお話だなぁと、ギリシア神話に強く惹かれるきっかけになったものです。お話として興味深く、同時に、神話の成立過程にも思いを馳せます。

実りのない4ヶ月を冬と考えるか日照りの夏と考えるか諸説があるようですが、いずれにしてもザクロの実を食べたことによって実りのない季節が生まれることが説明される。
民にとって、冬であれ日照りの夏であれ、実りのない季節は辛いし、繰り返し訪れる不作の前に、なぜ不作なのだと先の見えない不安に駆られたことでしょう。
季節はいずれ変わり、また実りの時期が来ると分かっていても、いや、それが分からなかったかもしれない民にとって、ペルセポネのお話は、やがて実りの季節が来ると説明される嬉しいお話です。

また、冥界のある地中は、栄養を蓄え、穀物を実らせ、鉱物資源なども眠る富の世界でもあると考えられ、富をもたらす者・ハデスのもとに下りたペルセポネが地上に帰るとき、実りがもたらされる、つまり種がまかれ、実りとなって戻る流れを説明したものではないか、との解釈もあります。

「冥界のものを食べると冥界にいなければならない」という掟をダレよりも知っているのは冥界の王・ハデスのはず。それを分かっていてなぜハデスはザクロの実を食べて欲しいと懇願したのか?
ハデスはコレーをダマした?
やっぱりコレーにずっといて欲しかったから???
疑問はたくさんありますが、神話の世界は、お話なので、お話の経過はそのまま受け止めなけば楽しめません(笑)

いずれにしても、寒くなったり日照りになったり、なぜ作物ができない季節が来るの?との疑問があったとき、
「今はペルセポネが王妃として冥界にいるから」
「ペルセポネは年に2/3は帰ってくるから大丈夫だよ」
と説明するのは、素敵な感じがします。



2011.6.25及び7.31 松戸市・松戸神社近くの坂川沿いにて
SIGMA SD15
SIGMA 70-300mmF4-5.6DG OS

ザクロのお花と実の写真は、この話に使いたくてずっと撮っておいたままになっていましたがやっと使えました(笑)
by bjiman | 2011-11-10 07:36 | ギリシア神話が好き | Comments(4)

希望~パンドラの箱~

(1)  市川市大町の長田谷津バラ園で、「希望」という名前のバラを見つけました。 
 私は「希望」という言葉を見るとギリシア神話のパンドラの箱の物語を思い出します。 (SIGMA SD15/SIGMA MACRO70mmF2.8EX DG)
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2006年9月にギリシャ旅行した際、ガイドさんからギリシア神話のお話をうかがいました。
(2) ギリシャ・ミコノス島イアにて (Pentax *ist,FA28-105mm) 
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(3) 恥ずかしながらそれまでギリシア神話に親しんだことがなかったのですが、ガイドさんから里中満智子さんの作品なら読みやすいですと教えて頂き、帰国してから早速文庫版を購入して、里中さんが優しく興味深く展開した神話の世界に親しみ、たちまち夢中になり、他の文庫を読んだり、絵画、オペラと興味は広がっていきました。
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特に哲学者の串田孫一さんの書かれた「ギリシア神話」の扉にあった、「ギリシア神話から教訓を得ようなんて、ずいぶん滑稽なこと」という趣旨の一文にはとても考えさせられるところがありました。なぜなら、神話の世界は、そのひとつひとつが何かの教訓を語ろうとしている物語がとても多いから。でもこれが後でとても示唆に富んだお話だとしみじみ考えるようになりました、、、ということは後においておいて。
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パンドラの箱(「壺」)は、中でも特に有名なお話ですよね。パンドラ(パンドーラー:全ての(パン)贈り物(ドーラー)の意)は人間を懲らしめるために大神・ゼウスから、人間と暮らすティタン神族のエピメテウスに贈られた人間初の女性。パンドラは神々が色々な贈り物を詰めたという壺をもたせてもらいますが、その壺は開けてはいけないことになっている、、、でもパンドラはそれを開けてしまう。すると神々が詰めた様々な厄災、恨みや争い、病気等々が飛び出し、人間界の世界を覆うようになってしまう。パンドラはとんでもないことをしたと後悔するが、壺に出て行けなかったひとつ、「希望:ελπις(エルピス)」を見つける。

こういうお話で、残った「エルピス(希望)」の解釈はそれぞれです。希望が残ったから救いがあるとする考えもあれば、厄災の覆う世界で、希望だけを頼りに生きなければならなくなった、、、との解釈も。そもそも「希望」という訳自体にも善悪様々な説があります。

私は新聞などでこの神話が引用されているのを見る度、ちょっと違和感を感じることが多くなりました。なぜならパンドラが開けてはいけない箱を開けてしまった、という前段の部分の引用(しかない)がほとんどだからです。
「そんなことをしてはパンドラの箱を開けてしまうことになります」、、、的な。でもこのお話は、パンドーラーが壺を開けて厄災が降りかかるところまではあくまでお話の前段で、「希望が残った」ということの方がお話を作った人が言いたいことに思えるから。

ここで前述の串田さんの「教訓を得てはいけない。お話はお話として受け止めてもらいたい」という言葉を思い出すので安易なことは書けないのですが、神話は、やっぱり何かいいたいことがあって、その結論を導くために作られたものが多いのではないかと思うのです。

人々は多くの厄災や病気、恨み、争いを前に、なぜこんな厄災が襲いかかるのか、、、と嘆く。
先の見えない不安が嘆きを深くすることでしょう。
なぜこんな厄災が起きるようになってしまったのか、、、
「仕方ないよ、パンドーラーが壺を開けてしまったのだから。。。」
この先どうなるのか、、、
そう思ったときに、傍らに残った「エルピス」、、、皆さんはどう思いますか?

解釈をこうだと決めつけてしまってはつまらない。だって、本当のことは分からないから。
パンドラの箱のお話は、「ελπις(エルピス)」をどう受け止めるのかという点が私には大切な気がします。まるで古代のギリシア人の知との対話を楽しんでいるかのようです。。。
赤と黄色のバランスが美しいこの希望という名前のバラを前に、そんなことを考えました。
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人間(男性)を作ったプロメテウス(あらかじめ考えている者:一般には賢者の意)は弟のエピメテウス(後から考える者:一般には愚者の意)に、「ゼウスからの贈り物には気をつけろ」と忠告されたのにパンドーラーをお嫁さんにしてしまいます。一方、だからといってエピメテウスが不幸になってしまう訳ではなくエピメテウスはパンドーラーと末永く仲良く暮らしたことになっています。私はギリシア神話のこういう救いようがある側面が好きです。
最近の新聞などを見ていると、威勢のいいことを吹聴する人はエピメテウスに見えてしまうのですが(笑)

2011.10.30 市川市・長田谷津にて
SIGMA SD15
SIGMA MACRO70mmF2.8
by bjiman | 2011-11-09 01:45 | ギリシア神話が好き | Comments(2)