4月1日雪の軽井沢②

4月1日、関東地方ではまさにこれから桜、という春に向かっていくとき。
でもなぜか、こんな雪の軽井沢でゆっくりするのも悪くない。そんな風に思いました。  (SIGMA DP1 Merrill)
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旧軽井沢銀座の周辺、ちょっとだけリーズナブルな駐車場にパークして、歩き始めて。このレストラン、今度来たいな、と思いました。
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旧軽井沢銀座は、人もまばら、、、という感じではなく、まぁこの時期にしては想像より混んでるなあという感じでした。
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この手のお土産って普通あまり買う気にならないんです。でも、この日のこのお店で見たお土産は、美味しそうなものが多くて困ってしまいました。
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これはかわいらしかったな。買いませんでしたが。
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目的のひとつは、この喫茶店「ミカドコーヒー」でのんびりコーヒーをいただくことでした。
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ジョンレノンも愛したという、軽井沢名物のひとつ。ミカドコーヒーのモカソフト。コーヒー味のソフトクリーム。美味しいですよ。
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私、日頃の疲れもあって、ここで珈琲をいただきながらウトウト寝てしまいました。でも、ストレスってそうやって開放されていくもののようにも、、、(強弁)
これはDP3で撮ってみました。
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ミカドコーヒーの店内では私のような世代の者にはちょっと懐かしいものがありました。
これこれ、樽形スピーカー。私は高校時代、自作マニアでした。そういう自作ファンにはこういうタイプのスピーカー、懐かしいと思うんですよね。酒樽とか、桧の桶とか、いろんな既存の箱もキャビネットになりましたね。そんなマニアに愛された16cm(これを6寸半=ロクハンと呼ぶのも死語でしょうが。)フルレンジとか20cmくらいのフルレンジを入れるのが定番でしたね。この(おそらく)パイオニアのコアキシャル2WAY、PAX-A20のようなユニットは定番中の定番だと思います。(DP3)

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コーヒーじゆっくりしてから、また旧軽井沢銀座をブラブラ。軽井沢観光協会も、ちょっと雪景色
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軽井沢彫の家具類が大好きです。
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それでは、楽しみにしていた宿泊所。旧軽井沢銀座からは至極近く。万平ホテルに向かいます。。。

2016.4.1 軽井沢にて
SIGMA DP1 Merrill
SIGMA DP3 Merrill

# by bjiman | 2017-04-19 02:21 | 軽井沢が好き! | Comments(1)

4月1日、雪の軽井沢

4月1日、2日の土日は雪の軽井沢で過ごしました。
春の桜が舞う東京から新幹線でわずか1時間。横川を過ぎてトンネルをくぐると風景は一変。「トンネルを抜けると、そこは雪国だった」というほどではありませんが、まだ確かに、そこは雪景色だったのです。

軽井沢についたら、雪の残る景観でした。 SIGMA DP1Merrill
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(雪の残る軽井沢駅)
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いつもはレクサスHSでドライブするところですが、今回は事前に、まだ雪が降っているという地域情報が出ていたので、急遽スタッドレスを装備したレンタカーを手配しました。旅のお供をしてくれるのは、カローラ・アクシオ1300ccです。
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さすが軽井沢。雪の残る町を走るレクサスも4WD/スタッドレス仕様。4WDのGSを見たのは初めてかな。
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軽井沢駅に降り立ったのはお昼時の12時頃。早速向かったのは、駅から歩いて近くの「カスターニエ 軽井沢 ローストチキン」
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私は「3種のソーセージのグリル」をいただきました。
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もちろん美味しい信州産りんごの美味しさたっぷりのアップルジュースも楽しみました。
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食事が終わったら、軽井沢銀座に繰り出します。
続きは次回。

# by bjiman | 2017-04-12 01:13 | 軽井沢が好き! | Comments(0)

21世紀の森の桜、松飛台のパスタ屋さん、クローバー

2017年の4月9日、日曜日。本当は養老渓谷に行って歩いてくる予定だったのですが、起きてみると折からの雨天、山の方は風も出ているようでしたので中止し、近所をブラブラ。今週末、この辺りは桜が満開で見頃でした。

21世紀の森と広場の公園の、ちょうど見頃な桜の風景  SIGMA sd Quattro+SIGMA 18-300mmF3.5-6.3DC
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雨上がりの曇り空の下ですが、桜のピンクがほのかに春の喜びを感じさせます。
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とても雰囲気のいいお花、このお花、プルーンのお花なんだそうです。
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ちょっと濃いピンクが持ち味。桃のお花。
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こちらは桜。
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夕方5時近く、やっとお日様が覗きました。これはこれで嬉しい!
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こうやって見ると、ただ芝に白い点が見えるだけですが、、、
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これ、白く見えるのは全部、雨露の水滴が太陽に反射しているんです。とってもキレイでしたよ。
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ここから有名な八柱~五香に渡って桜並木が続く、桜通りをとおって向かったのが松飛台にあるパスタ屋さん、「クローバー」
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もう20年以上通っています。
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ここのパスタは、ニューオークボの太麺が何と言っても素晴らしいんです。一度食べたら癖になる、モチモチ食感の麺の味は、忘れられません。
、、、今日は、まずチーズたっぷりのピザから。このピザも、いつも目の前で生地をこねているところから見ていますから、安心の安心・美味しい手作り。
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パスタは、私のお気に入りは、フランクソーセージがたっぷりの「フランク」。今日は大盛り。
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今日は、そんな一日でした。

2017.4.9 SIGMA sd Quattro+SIGMA 18-300mmF3.5-6.3DC OS HSM MACRO

# by bjiman | 2017-04-10 02:09 | 花を撮る幸せ | Comments(0)

(補足追記)ニッサン・スカイラインについて(ジャーナリズムに意見しておきたいこと)⑦最終回

ニッサン・スカイラインについての最終回。少し時間が掛かりすぎましたが、スカイラインともなるとさすがに情報量が多く、私自身とても勉強になりました。

スカイラインが2001年にR34型からV35型になって一番変わったことは、2代目の初代スカイラインGT(S54)以来の直列6気筒エンジンをV6エンジンに変更したことです。それだけであれば、直裁に言って、トヨタ・クラウンだって後を追うように2003年に「ゼロ・クラウン」でV6に、マークⅡは、2004年に「マークX」になって、同じようにV6レイアウトを採用しています。メルセデス・ベンツもCクラスセダンの6気筒エンジンは、2000年登場のW203型からV6になっているのです。言ってみれば時代の趨勢なのですが、なぜかスカイラインはそんな事も議論になってしまう。それは、直列6気筒2000ccエンジン縦置きの長いボンネットのスタイルが、スカイラインGTのイメージとして定着してしまっているからだと思います。
(プリンス・スカイライン2000GT)
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しかし直列6気筒エンジンは、縦に長く長方形のエンジンになるので、レイアウトが制約されます。全長が長いということはエンジンを横置きにすると幅を取り過ぎてしまうので、エンジンスペースの全長を抑えて室内スペースを少しでも多く取るエンジン横置きのFF車に使うことができません。一方、V6レイアウトにすればおおざっぱに言えばエンジンが正方形になるので、縦置きのFR車でも横置きのFF車でも必要とするスペースは補機類のレイアウトを除けば一緒ですから、ひとつのエンジンで色々な車種を作れる。つまり開発しなければならないエンジンを減らすことができるというのが大きなメリットです。FR車の場合でもエンジンルームに要する長さが端的に言って半分で済むので、その分、室内スペースに向けたり、エンジンの重量配分を考えたりとレイアウトに自由度が増すことが大きなメリットになります。
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ヨーロッパでは、70年代から既にこうした多様なV6エンジンの使い方がされていました。プジョー・ルノー・ボルボの名前を冠したPRV・V6エンジンは、プジョー505と後継車の605のようにFR車とFF車、ボルボのFR車、ルノーやシトロエンのFF車、おまけにアルピーヌA310のようにRR車にまで多様に用いられ、V6エンジンの多様性・効率性を十分に活かして活用されました。一方日産は、1983年登場のY30型セドリック/グロリアで、トヨタ・クラウンよりも20年も早くエンジンをV6化し、フェアレディZのエンジンまでV6にしたのに、スカイライン/ローレルには直列6気筒のRB型を新開発し、結局Zにも載せたりと、やっていることが非常にちぐはぐでした。直列6気筒のRBを開発するなら、セド/グロをV6化した意味がなく、開発コスト負担が余計に掛かってしまっただけです。現在のスカイラインに載っているVQ型V6エンジンは、セド/グロの後継車のFUGAやフェアレディZのようなFR車にも、ティアナのようなFF車にも共通で使われ、また同じアライアンスグループのルノーや韓国のサムスン車にも使われています。このように、FF車・FR車を問わず多様に使えて、開発コストも低減できることがV6エンジンを使う経営の意味です。スカイラインをV6化することの意味というのは、スカイラインのデザインがどうこうではなくて、経営という面から見れば非常に普通なことで、むしろ80年代~90年代当時の日産の問題点って、こういう経営判断ができなかったことにあると思います。

          NISSAN・FUGA /SIGMA DP1 Merrill
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この記事を書き始めたのは、私は、年末にみた自動車ジャーナリストの、スカイラインV35型についての批判記事で、

「これまでスカイラインというクルマが作り続けてきた思いや伝統を微塵も感じさせない」
「このでぶなクルマに、スカイラインと名づけることに反対意見はなかったのだろうか。」
「いや、あったに違いない、ゴーン勢力に押し切られてしまったのだろう。」

という部分、特に、最後の「ゴーン勢力に押し切られた、、、」云々の評論に強い違和感を持ったことがきっかけです。
仕事をする上で、社会人として、私はこのような被害者意識を持ちたくないからだ、と書きました。ここまで書いてきたように、私が思うには、「ゴーン勢力に押し切られた」、、、は違う、むしろ全然逆なのであって、80年代にセド/グロをV6化した時、以後のスカイライン、ローレルやレパード等のLクラスのクルマを全部V6にするような効率的な判断が当時の日産の経営者に出来ていたのなら、日産はルノーに救済される前に自分で経営危機を避けられたのではないかと思うくらいです。

まとめましょう。
直列6気筒エンジンを追求した「R型」スカイラインの販売実績の推移を見直してみて、「このままでいい」と考えるでしょうか。いいわけがありません。
販売台数はずっと減少傾向で、なるほど評判の良かったR32型の時に下げ止まり感があり、「これで行ける!」と思ってもおかしくはありませんが、R33型で再び下がってしまっています。
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詳しい方なら皆さんご存じのとおり、R33型のセールスが伸びず、後継車のR34を開発する時、日産の開発陣の意見は2つに分かれていたことはよく知られています。
件の自動車ジャーナリストは、「これまでスカイラインというクルマが作り続けてきた思いや伝統を微塵も感じさせない」と書いていましたが、日産のホームページには文字通り、「スカイラインにかける開発者の思い」というV36スカイラインの時に作ったページがまだ閲覧できます。この中で、それこそ、「これまでのスカイライン」を作ってきた設計者の櫻井眞一郎さん、R32の伊藤修令さん、R33型とR34型の渡邉衡三さんが歴代スカイラインとV36スカイラインに対する思いを書いています。R33とR34の開発リーダーだった渡邉衡三さんのページを見てみると、R34を開発するときは、既にセダンの販売全体は不振の時代になっていて、当然、GT-Rの開発にも経営陣から難色が示されたこと、R32時代から開発に係わってきたエンジニアの水野和敏さんからは、V6エンジンを使った現代的なプラットフォームを提案され、「個人的にはその方が次期型スカイラインには相応しいと判断した」が、「投資額が大きくなりすぎるので断念せざるを得なかった」と、ちゃんと意見が分かれていた理由を書いています。
R34型の時、日産が直列6気筒エンジンの旧型プラットフォームを継続し、熟成される道を選んだのは、その方が開発コストを抑えられるからです。しかしその結果はどうだったでしょうか。R33型スカイラインはそれでも21.7万台売れたのに、R34型は6.4万台まで急激に販売が落ち込みました。これは市場から「ノー」と言われたも同然であり、途中で生産を打ち切られることになりました。R34の試乗記などを見てみると、できが悪かったのではないと思います。むしろ洗練されていたのでしょう。「ノー」と言われたのは、キープコンセプトの方針自体だと考えるべきでしょう。日産はそう判断したんだと思います。
このジャーナリストが批判している「このでぶなクルマに、スカイラインと名づけることに反対意見はなかったのだろうか。」という問いに答えるには、日産のホームページにあるスカイライン誕生秘話を読めば十分なんです。

2001年、V35型スカイラインとFMプラットフォームを共用するスカイラインのワゴン版、「ステージアM35」すごくモダンなクルマに生まれ変わった、と私は思いました。
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V35スカイラインの開発者だった水野和敏さんは、「別冊水野和敏」という雑誌の中で、V35の開発が日産のエンジニア時代でもっとも印象に残っている仕事だと書いていました。セダン不振の時代の中、「FRの高級車なんかもういらない」という会社の空気だったそうです。そんな中、次代のFR車がどういうものか必死に構想し、コンパクトなV6エンジンを重量配分が最適化されるように後方に置くFM=フロントミッドシップシャシーを提案、反対する社内を必死に説得して回ったと。反対する社内の空気感とは、R34スカイラインの開発時期とダブります。前述したように、R34の開発者だった渡邉衡三さんは、水野和敏さんからは、V6エンジンを使った現代的なプラットフォームを提案され、「個人的にはその方が次期型スカイラインには相応しいと判断した」が、「投資額が大きくなりすぎるので断念せざるを得なかった」と書いています。水野さんによれば、それをルノーから送り込まれてきたゴーンさんが「認めてくれた」と書いてあります。だから逆なんですよ。「ゴーン勢力に押し切られてしまったのだろう。」ではないんです。R33がセールス不振で、そんな中、経営が思わしくなかった日産は、新しくV6を起こして新型のFRシャシーを作るような開発費を掛けるなんてとんでもない、そういう空気感の中を、ルノーから来た外国人経営者が、日産再生の象徴にしたいという思いで開発を認めたということだと、日産のホームページにきちんと書いてあるんです。R34の時、水野さんは既にFMパッケージを構想していたので、V35スカイラインの原型であるショーモデル、XVLは、R34型が発表になった1998年の翌年、1999年の東京モーターショーで発表されます。つまり、同時並行で行われていたということです。これを否定するなら、それだけの材料がいる筈です。
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「ゴーン勢力に押し切られたんだろう」的な被害者意識を、私は好みません。そもそもゴーンさんて、日産が、スカイラインが憎いんでしょうか。そんなはずはないでしょう。彼は創業者でもエンジニアでも資本家でもありません。ルノー本体からいわば派遣されてきた経営者に過ぎず、彼の立場は、消費者に理解され、売れる車を作り、利益を上げて、株主などのステークホルダーに利益を還元しなければならない、そういうものです。開発をするのはエンジニアで、いいと思ったアイディアをどのように組み合わせて採用するのかが経営であって、ゴーンさん以前の日産は、それが出来なかったから経営危機になったんでしょう。V35スカイラインを批判するなら、そういう視点が欠かせない筈です。


自動車ジャーナリストは、V35スカイラインがデブだデブだと批判していましたが、なぜ、V35型のスカイラインの幅が、1,750mmになったか。その理由を日産は、スカイライン開発秘話の中でちゃんと説明しています。メルセデスのCとEの間、BMWの3と5の間に設定した。それは、国際的にも可能性があると考えたからだ、と。
「国際的な可能性」つまり日産は、ほぼ国内市場のみを考えて作られていたスカイラインを、輸出しようと考えた。そうするとグローバル的な観点から、自動車ジャーナリスト達から「欧州車に比べて細長すぎる」とさんざん指摘されていたスタイルを見直す必要があります。とはいえ、もともとスカイラインのサイズ的な位置は、BMWでいえば3と5の間にずっと置かれてきたということは、本ブログでも以前掲示した表を見れば明らかです。
むしろBMWの3は、R34時代の1740mmから時期型では1815mmになっているので、1,750mmでもちょっと細いくらいです。少しも「でぶ」などではないことは、この表を見ていただければが明らかだと思います。自動車ジャーナリストが、客観的な数値に基づかない記事を展開するなら、こうした事実をもって否定する以外にありません。
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最後に、スカイラインのポジションについて書きたいと思います。
現在のV37スカイラインが発表された時、私は、フロントにインフィニティ、後ろにスカイラインとバッジを貼ったその考えが分かりませんでした。
しかし、今回、プリンスからの歴史を振り返っていたら、「ハッ」と気づいたんです。プリンス・スカイラインは、もともと高級ブランドだったじゃないかと。
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プリンス自動車が1967年に日産に吸収される形で合併された時、プリンス自動車のエンジニア達はどういう気持ちだったかは分かりませんが、プリンス・スカイラインの伝説を作ったのは日産ではありません。プリンス自動車の櫻井眞一郎さん達です。プリンス自動車の「プリンス」の名前は1952年(昭和27年)の今上天皇の立太子礼に因み、初代スカイラインは、皇太子殿下の愛車でもありました。日産に合併される前の1964年、第2回日本GPで、1500ccクラスのレースでは1位~7位までをスカイラインが独占しているんです。御料車であるプリンス・ロイヤルも受注しています。(納入は日産に合併されてからでしたが。)こうした経過を考えると、プリンス自動車のエースであったスカイラインは、日産ブランドではなく、日産のプレミアクラスである「インフィニティ」ブランドで扱われるべきクルマではないのかと思います。
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R32の設計者でもあった伊藤修令氏は、プリンス自動車出身で、櫻井眞一郎氏の弟子でもあります。その伊藤修令氏がスカイラインの開発チーフになったのは、セブンスの開発の最後の所だったそうです。セブンスは桜井眞一郎さんが企画・開発したクルマですが、「都市工学」と言われたハイソカー的なコンセプトは、登場時から「スカイラインらしくない」と批判の嵐を浴びました。そのセブンスの企画の最後のところで、櫻井さんが身体を壊されて急遽、弟子だった伊藤さんにバトンが渡され、それを発表すすると「スカイラインらしくない」との批判を浴びる。。。伊藤さんが語ったスカイラインにかける開発者の思いを読むと、とにかく悔しかったのが、「櫻井さんが手がけなきゃスカイラインじゃない」という心ない批判だったそうです。考えてみて下さい、スカイラインの開発をずっと引っ張ってきたのは櫻井さんで、ケンメリのように走りからデートカー路線に舵を切ったのも櫻井さんなんです。それは純粋に日産の開発責任者として、ジャーナリストが単純に評価するような走りという要素だけではなくクルマが売れて、利益を還元するのはどういうことかということを、櫻井さんが深く考えていたということでしょう。
セブンスに2Drクーペが遅れて発表された時、開発者の伊藤修令さんは、2drには「20代の若い人が似合う」としつつ、2drの発売を後回しにした理由を、「このクラスのクルマの需要の大半は4drだから、そちらが優先でした」とはっきりコメントされています。これが、スカイラインを袋小路にさせる要因なのです。

ジャーナリストは、2Drの走りのいいクルマじゃなきゃスカイラインじゃないというけれど、実際の売れ筋は4Drなのです。高額車であれば、30代や40代のサラリーマンでなければ買えません。まして、R33の時代にもなると、エンジンのRB25DET・ツインカムターボエンジンの馬力はもはや250馬力にも達し、およそ普通の感覚では「速い」どころか「使い切れない」性能になってしまっていました。この番組の中で、R33の主管であった渡邉さんは、「使い切れる250馬力を」とコメントしていますが、司会者のジャーナリスト三本さんが、「使い切れないよ」と言い返すシーンが印象的です。もうR33の時代、スカイラインの速さとしての性能は、十分以上になっていたということなのでしょう。このR33時代も、2Drは台数が出ない、と渡邉さんは明言しています。
こうした過去の経過を考えれば、スカイラインがコンセプトを見直す時、本来のプリンス自動車時代のプレミア感から見れば、若者をターゲットとした2Drスポーツクーペではなく、プレミアなインフィニティのミドルクラスセダンとして4drセダンのコンセプトを再構築したことは、実は非常に正攻法の考え方ではないかと思います。
スカイラインの開発をずっとリードしてきた櫻井眞一郎さんが、インフィニティのミドルクラスとして設計されたV36のスカイラインを見て試乗した時、櫻井眞一郎さんが「よくぞ戻ってきたスカイライン」とコメントしていたことが印象的でした。「長いスカイラインの歴史を振り返って、"スカイラインって本当はこうじゃないのか?"という疑問を抱きながらスカイラインを作った人間がいたのではないかということですね。よくぞ戻ってきた、、、」と。その意味を、私はこう思うんです。
スカイラインは、もともとこういうクラスの、4ドアのスポーツセダンだった、、、と。

私は、自動車の批評は、縦軸(そのメーカーのラインナップ上の位置づけ。サイズ、格付け上の上・中・下)、横軸(同じクラスのライバル車)、そして時間軸(そのクルマがどういう歴史を持っているか、過去のセールス)を見なければ、どうしてこういうクルマになったのかが批評できないと思っています。逆に言えば、縦軸、横軸、時間軸を見てみれば、今のスカイラインのポジションは、まったくおかしくないということが、私が今回思った結論です。

(20174.7 補足追記)
お陰様でスカイラインの記事もたくさんの方に読んでいただくことができました。
冗長になることはよくありませんが、ご愛読に甘えて、この記事を書きながら考えていたことについて若干補足したいと思います。

(スカイラインー70年代という時代背景)
スカイラインを愛されている方のコメントを見ていると、スカイラインは、R32で終わったとか、ジャパンで終わった、とか、いろんなところで「終わった」と書いている方がいらっしゃいます。そもそもこの記事を書くきっかけになったジャーナリストは、R34で終わったと書いているのですが。
私は、スカイラインというクルマの販売推移を見ていると、やっぱりスカイラインの「華の時代」は、4代目C110ケンメリ(72年~)と5代目C210ジャパン(77年~)であり、コンセプトがややレースよりのR30、いわゆる鉄仮面スカイラインのところで販売が大きく落ちていることを考えると、「サーフィンラインの2drクーペ」だったジャパンまでがスカイラインだったという意見は分からないでもないと思います。ここでいう「スカイラインだった」の意味は、「若者文化としての、みんなが憧れた生活を感じさせるスカイライン」という意味です。
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この特集を書くときにずっと聞いていたのは、バズの「愛と風のように」と、GAROでした。
私は1970年代、海外放送のBCLに夢中になりながら、すこしづつラジカセで聞く音楽番組に惹かれていきました。そんな当時、ラジオから流れてきたGAROのメロディにいっぺんにとりつかれ、カセットに録って聞いたのが、1973年の日本レコード大賞大衆賞にも輝いた「ロマンス」という曲です。
ケンメリのスカイラインが大ヒットしていた73年頃、若者達はこういう「繊細な優しさ」に惹かれていたんだと思います。
それは60年代の日本グランプリにおけるスカイライン伝説や、ハコスカの49連勝とも違う、青春時代を迎えた若者達の悩みや葛藤、お洒落な未来というものだったのではないでしょうか。そして、そんな70年代の思い出を、過去を知る私たちは忘れることがありません。
(THE ALFEEは、売れなかった若かりし頃、GAROと同じ事務所で師弟関係にありました。坂崎さんの「ロマンス」には、GAROへのリスペクトが感じられます。)
そんな「ロマンス」の時代を過ぎ、スカイラインは新しいコンセプトを確立しきれないでいたんだと思うんです。
「スカイライン勝利の方程式」は、GT-R、レースで勝つ、6気筒24バルブエンジン、という要素だと思いますが、R30以降のスカイラインは、このすべてを備えていきながら販売台数を下降させつづけていきました。
だから、V35スカイラインを開発するとき、開発スタッフの頭の中にあったのは「従来のスカイラインではなかった」ということです。
その理由を、V35スカイラインの開発責任者だった宮内照雄さんは、
「スカイライン」ではなく、「理想のセダン」を追求した
「スカイライン」のイメージは固定されていて、市場が狭い
だから、「スカイライン」とは切り離して考える方が良かったのだ、としているのです。

よく少数意見も聞くべきだ、というジャーナリズムの論調を目にすることがあります。
少数意見も聞くべきなのは当たり前のことですが、例えば、それをクルマという商品に当てはめた場合、「それが商品として成立するのか」ということに意を配れない論調というのはとても子供じみた意見でもあるし、また、美しすぎる議論は時に空想ともなります。空想なだけならまだマシで、お花畑にいていただければいいのですが、それを相手(メーカー)に強制することは、時にユーザー無視の議論になります。

最近の例でいうと、レクサス・RCという2Drクーペを取り上げた記事で、RCの国内月間販売目標台数が80台だったのを取り上げて、「驚いた」「何とも寂しい数字である」としていたことです。「驚いた」というフレーズはこういう批判をする時によく使われるように思いますが、私から言わせれば「驚く方がおかしい」のです。
クルマの専門家であるジャーナリストが、今や国内で絶滅状態にある2drスポーツクーペ、しかも600万も700万もする高額車の販売目標が「少ない、寂しい」というその感覚こそ、一般のユーザーから乖離しているのであって、そのような批判記事を書いてRCのようなチャレンジを批判することが建設的であるとは、とても私には思えません。

4drセダンとして、全幅と全高をしっかりとって、居住性に配慮したスカイラインを見て、評価できないというジャーナリズムもまた、同じ轍を踏んでいると私は思います。

V35スカイラインは、北米でインフィニティブランドとして発売され、2003年度の「モータートレンドカーオブザイヤー」を受賞。
V37スカイラインは、北米で好調を維持。高級乗用車部門の2016年度ランキングで、メルセデスCクラス、BMW3シリーズ、レクサスES、メルセデスEクラスに次いでセダンでは全米5位に輝きました。北米では、昨年、BMWの5よりも、アウディよりも、「スカイライン」が売れました。
悲しいことに、こういう変化を前に、ポジティブな評価をしてくれるのは、常に外国であるという事実を前に、少しはジャーナリストの方は自省して欲しいと思います。
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# by bjiman | 2017-04-08 02:49 | CAR | Comments(2)

ニッサン・スカイラインについて(ジャーナリズムに意見しておきたいこと)⑥

スカイラインについての最終回(の前半)。最後にまとめておきたいと思います。
私は、年末にみた自動車ジャーナリストの、スカイラインV35型についての批判記事。

「これまでスカイラインというクルマが作り続けてきた思いや伝統を微塵も感じさせない」
「このでぶなクルマに、スカイラインと名づけることに反対意見はなかったのだろうか。」
「いや、あったに違いない、ゴーン勢力に押し切られてしまったのだろう。」

という部分、特に、最後の「ゴーン勢力に押し切られた、、、」云々の評論に強い違和感を持っていました。
仕事をする上で、社会人として、私はこのような被害者意識を持ちたくないからです。

実際そうなんでしょうか。まずそれを聞きに行くべきだし、昨今、再三取りあげているように、日産のライバルのトヨタの場合は、エンジニア自らが、Webをはじめ、雑誌などにも登場し、インタビューに応え、または自ら投稿し、相当突っ込んだ情報発信をするようになっています。逆に言えば、そうでもしなければ、きちんと情報発信ができないからだろうとも思います。
前回、昨年にテレビで見た、アナウンサーの人が個人的な報道をされて、自分で説明しても、「何も信じてもらえない」と話していたことが印象的だったと書きましたが、クルマのエンジニアにとってもその辛さは同じものがあるだろうと。特に、スカイラインのような人気車については、メーカーも、エンジニアも情報発信をしているので、今回改めて、これだけ豊富な情報発信をしているのに、なぜ、冒頭のようなことを自動車ジャーナリズムが書くのか違和感がぬぐえません。まさに、何を言っても信じてもらえないということの辛さだろうと思います。

では、V35以降の、V6スカイラインは、スカイラインというクルマの伝統を微塵も感じさせないものなのか、私なりに逆の意見の立場から説明してみたいと思います。
まず、スカイラインの始まりから、V35にチェンジするまでの、セールの経過をもう一度グラフで見てみます。
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スカイラインは、2代目のS54Bの時、初代スカGが、第2回日本グランプリで1周だけポルシェの前を走って、普通のセダンでありながら速い!というところが「羊の皮を被った狼」と称されて「スカイライン伝説」が生まれ、プリンス自動車を日産が合併して初のスカGとなった「ハコスカ」こと、GC10のレース仕様である初代GT-Rが、4ドアGT-R&2ドアGT-Rで、ツーリングカーレース49連勝を誇ったところでブランドが確立したといってもいいでしょう。
でも、ここからが肝心ですが、スカイラインが最もセールスを伸ばした時期、それは「愛のスカイライン」ケンメリの時とそれに引き続くジャパンの時だということです。
ハコスカの時も「愛のスカイライン」と呼んでいましたが、ケンメリ時代、バズの素敵な曲「愛と風のように」の繊細なヴォーカルな時代に乗せて、明らかにアメリカを感じさせる「ケンとメリー」のカップルが日本国中を旅するというテーマのCMは社会現象とまで言われるようになりました。私も美瑛にあるケンとメリーの木を見に行きました。日産のホームページNISSAN LEGENDSの中で、桜井さんの部下でR32スカイラインを指揮した伊藤修令さんが、「ケンメリ時代から、走りをセールスポイントにした「真面目な」クルマから、ファッショナブルな路線へ転換した。若者が求めていたデートカーの要素を持っていた。」「そういう方向性を打ち出したのは彼(桜井さん)でした。」と証言しています。また、桜井さんを評して、「理屈ばかりのガチガチのエンジニアだったかといえばそうでもない。世の中の動向や流行にも敏感な人」だったとも指摘しています。日産自動車に吸収されたプリンス自動車にとって、系列ディーラーである「日産プリンス自動車販売」の貴重なエース車種であるスカイラインの売れ行きは、開発エンジニアだった桜井さんにとっては非常に重要だったことは想像に難くありません。ハコスカの時代の49連勝の最中に、ファッショナブルな路線に転換する、、、それは日産自動車の責任者の一人としての「マーケティング」(どうすれば売れるのか、、、という決断)だったのだと思います。そしてそれは大成功を収めるんです。ケンメリとジャパンの時代、それはどこから見ても、アメリカンなデザインのやや大柄なセダンで、若い2人が中心でありながら、後部座席のスペースも確保したことがアピールされたCMになっています。ケンメリとジャパンの9年弱でスカイラインは約130万台売り上げる人気車種になる訳ですが、この間、スカイラインはレースに出場するようなことはなかったんです。むしろ、そんな強さよりも、若者が求める「優しさ」がアピールされた時代でした。
1970年代と現在では、「若者(青年)」の重みが違います。戦争で中堅層が薄くなっていた日本では、70年代、若者に対する期待が大きかったと思います。戦前と全く文化が変わり、アメリカ文化が入ってくる中で、若者には、経済を牽引する力だけでなく、クルマの活用といった文化、ファッション面でもリーダとして発信力も期待されたと思うんです。人口構成という面で見ると、ケンメリの70年代の頃、20歳~39歳の青年層が人口全体に占める比率は35%(2.9人に1人)。これが2010年には25%(4人に1人)に低下、一方、一方、65歳以上の高齢者の比率は、2010年が17.4%にも及ぶのに対し、70年は7%に過ぎません。要するに、人口構成全体が若年寄りで、かつ2.9人に1人は青年なので、自ずと若い人の購入の選択(の好み)は重要だったということです。

また、70年の乗用車の普及率は22%に過ぎず、ほとんどの人が初めて持つクルマだったということも影響があると思います。若い人が多く、高齢者が少なければ、デートカーでもいいでしょう。2ドアでもいいでしょう。でも、クルマの乗車定員、求められるゆとりは年代を追って増えてきて、同じクルマであっても段々ゆとりが求められるようになります。
ジャパンの頃、段々セールスが落ちてきて、日産の開発陣には、レースに出るスカイラインが見たいという声が聞かれるようになってきたといいます。
桜井さんを初めとするスカイライン開発チームには、スカイライン伝説を起こした「勝利の方程式」があったと思います。それは、
①レースに出て、圧倒的に勝つこと
②6気筒DOHC4バルブエンジン、S20のイメージを持つこと
③①を実現するための、2ドアスカイライン「GT-R」を持つこと。(ショートホイールベース化)
この①~③を段々に実現したのが、R32を頂点とする、型番にRが付く、「Rシリーズ世代」のスカイラインだったと思います。
しかし、R世代は、この「スカイライン勝利の方程式」を実現しましたが、販売面では、ジャパンに始まった下降線を上昇させることはなかったんです。

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スカイライン開発陣は、非常にスカイライン伝説に対して慎重だったと思うんです。
R30スカイライン、いわゆるニューマンの時代、スカイラインはレースに復帰します。この時引っさげてきたのが、待望のDOHC4バルブエンジン「FJ20E」でした。
しかし、このエンジンは4気筒であったために、ハコスカGT-Rのエンジン「S20型」のように6気筒24バルブではなく、4気筒16バルブエンジンでした。このエンジンはシルビアにも搭載されていましたから、ちょっとクラス的には格下なんですよね。ですから、GT-Rの名を許さず、桜井さんは、「RS=レン・シュポルト」(Renn Sport)とする訳です。RSは、スカイラインとは因縁深い、ポルシェのRSから持ってきたんでしょう。

スカイラインRS 西部警察バージョン @小樽  SIGMA DP1 Merrill
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スカイラインの開発者の思い、、、なんてそんな単純なことじゃないと思いますが、スカイラインともなると、さすがに日産のホームページに非常にたくさんの情報が出ていて、これを読んでいくと、自ずと、V35に繋がっていくイメージが理解できると思いました。次回は最終回、その辺りを振り返りたいと思います。

# by bjiman | 2017-03-07 01:59 | CAR | Comments(0)

ニッサン・スカイラインについて(ジャーナリズムに意見しておきたいこと)⑤

ちょっと旧聞になりますが、ある女子アナウンサーが、自分のプライベートな事柄について報道をされたとき、「何を言っても信じてもらえない」と話していた姿が印象に残りました。私は彼女に同情している訳でも、事情を知っている訳でもないのですが、どう説明しても説明のとおりには報道してもらえず、勘ぐられたことばかり書かれるということがいかに辛いことか、私はクルマジャーナリストの方に言いたいんです。

「設計者に、聞かずに書く」
「決めつける」

ということが、どれほど問題なのか。
スカイラインV35に対して、あるクルマジャーナリストが書いていた言葉

「これまでスカイラインというクルマが作り続けてきた思いや伝統を微塵も感じさせない」
「このでぶなクルマに、スカイラインと名づけることに反対意見はなかったのだろうか。」
「いや、あったに違いない、ゴーン勢力に押し切られてしまったのだろう。」

これに対して、私がこうして強く意見しているのは、当たり前ですが、ジャーナリスト個人に言っているのではありません。
設計者に聞かずに決めつけ、客観性を欠いた議論をすることが、いかに事実を歪曲させてしまうのかということに強い問題意識を持っているからです。
スカイラインV35がデブだという。
ではV35スカイラインがデブなのか、検証してみましょう。
国内の同クラスということで、トヨタのマークⅡ、欧州車では、BMWの3シリーズ、5シリーズと経年で比較してみます。
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この表を見ていただければ一目瞭然であるとおり、スカイラインV35は、ライバルと比べても、歴年のモデルと比べても、決してデブなどではありません。
1980年代、国産車は国内規格の5ナンバー(全長4.7m×全幅1.7m以下)の規制(3ナンバーになると税金が高くなる)の影響で、欧州車等のライバルから保護されつつ、その影響で、スタイルが細長いものになっていました。自動車ジャーナリストからは、「異形だ」「スタイルのバランスが悪い」とさんざん揶揄されていたんです。
それが90年代の税制改正で開放されてからは、段々修正されてきています。特に、この表で見ると分かるとおり、トヨタ・マークⅡは、3ナンバーになったX90型のサイズが、同時代のBMW5シリーズとほぼ同サイズになっていることが分かると思います。こうやって、国産車は世界の水準に並んできたんです。(そしてその後、また5シリーズが更に大きくなったのに、マークⅡはついていかなった。そして、国内専用のマークXという風にコンセプトを練り直すことになるのですが。)
マークⅡのX90型から比べれば、2001年登場のスカイラインV35型の横幅が、1993年当時のマークⅡX90型と同じ1,750mmという設定は、少しもデブなどではなく、むしろライバルから見たら、これでもまだ細長いんです。この時代、既にスカイラインよりも一回り小さいBMW3シリーズ(E90型)の横幅は、1815mmになっているんですよ。横幅が大きくなることは、道幅の狭い我が国の中においては、使い勝手に劣ってくることは確かですが、車内のゆとりが確保でき、側突の安全性を高めることにもなります。なぜ、ライバルと比べてスリムなスカイラインV35型が、これでもデブデブだと言われなければならないのでしょうか。おかしいでしょう。

SIGMA sd Quattro+SIGMA 150-600mmF5-6.3DC OS HSM
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なぜBMWと比較するかと言えば、スカイラインが好きな方なら皆さんご存じのように、特にハコスカ以降のスカイラインが、BMWから、特にマルニ(ノイエ・クラッセ)以降のモデルに強く影響されていることは明らかで、フロント:マクファーソンストラット、リア:セミトレIRSの足回り、直列4気筒ないし6気筒+FRのスポーツセダンというコンセプト、スカイラインの1800ccグレードに用いられたTI(ツーリングインターナショナルと呼んでいた)というグレード名、、、これはマルニ時代のBMWの2002ti をイメージしていると思います。ついでに書くと、ツーリングインターナショナルという訳は、BMWよりも前に「TI」というグレードを用いた本家・アルファロメオのジュリアTI(国際ツーリングカーレース・「Turismo Internazionale」の略)をそのまま使っているのです。この辺りは桜井眞一郎さんを中心とするプリンス自動車時代からのスカイライン開発チームの好みなんだろうと思います。R30の時代には5ドアハッチバックのGTやディーゼルのGTだって出していますから、桜井さんはこうした欧州スタイルのスポーツセダンをスカイラインの中に翻訳していったんだろうと思います。TIの呼称はアルファが先達でも、ジュリアのサスはフロント:ダブルウイッシュボーンのより古典的かつ高級なものなので、ハコスカ以降のスカイラインが実際に参考にしていたのはBMWの方(マクファーソンストラット+セミトレ)だと思います。


そして、マルニ以降のBMWがコンパクトな3シリーズと、中型の5シリーズに分化していくのを横に見ながら、スカイラインは、上のサイズ表にあるとおり、「3と5の中間」のサイズに納めていくようになります。それは、スカイラインのポジションは、下にクラスが近似する看板車種のブルーバードがあったからでしょう。ブルーバードだってサニーじゃないんですから、サイズ的にはDセグメントとCの間くらいにはあるからです。
私の本音を言えば、910のようなFRのブルーバードがもし理想的に発展したなら、レクサスのISや、BMWの3に相当するものになって、スカイラインは、5のサイズでもとやかく言われることはなかったと思います。現行型のスカイラインV37型のサイズをBMWの3と5の間に挟んでみると、それが良く分かると思います。今でもこうしてスカイラインは、BMWの3と5の間にキレイに収まっています。
こういう数字のファクトを揚げて説明せずに、「デブだデブだ」と批判することは、単に適切ではないだけではなく、国際的な競争力を削ぐという点で問題なのです。
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私は、V35のV6になってからスカイラインが欲しいと思うようになりました。これは初めてのことだったんです。
しばらくそんな思いが頭に残って、V36型にスイッチされたときにはディーラーに行ってカタログをもらってきたくらいです。(まだ持っています。下にあるのは当時一緒に検討していたブルーバードシルフィのカタログ)

SIGMA DP1 Merrill
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、、、ということで、次回は、スカイラインが直6からV6に変わった辺りの自分なりの意見を書いてみたいと思います。

# by bjiman | 2017-03-04 03:54 | CAR | Comments(0)