ニッサン・スカイラインについて(ジャーナリズムに意見しておきたいこと)③

プリンス自動車は、1966年(昭和41年)に日産自動車と合併します。これは、1960年代に入り、日本にも本格的なモータリゼーション時代が訪れ、自動車生産が飛躍的に増大したことが背景にあります。何と言っても、1963年に100万代を超えた生産台数は、1967年には314.6万台、西ドイツを抜いて世界第2位にまでなるのですから、その伸張ぶりは世界経済に与える影響も大きく、主としてアメリカからの完成車輸入自由化が求められることとなりました。歴史は繰り返す、という訳ですが、当時の通産省は輸入自由化に伴うショックを緩和するため、国内自動車業界の体質強化を計画、シェア2位の日産と4位のプリンス自動車の合併を誘導しました。プリンス自動車は、高級車を手がけ、立川飛行機以来の高い技術力が持ち味でしたが、販売が弱く、資金力に弱みがあったため、合併は日産に吸収されるような形で、プリンス自動車という名前は消え、販売会社に日産プリンス自動車販売が設立されることで当時は名前を残しましたが、この合併は、プリンス自動車側の社員にとってはプライドを傷つけられるものであった筈です。結果論は誰にでも言えることですが、私は、この合併は、日産自動車の側から見れば、桜井眞一郎氏、伊藤修礼氏らスカイラインの伝統を保ちつづける名エンジニア達という人的資産と技術力、スカイラインというブランド資産を手に入れるメリットがあった一方で、プリンスのスカイラインと日産のローレル、プリンスのグロリアと日産のセドリックというクラスが被るクルマのブランドを確立する点ではデメリット(同じクラスのクルマがあってわかりにくい)もあったと思います。

スカイラインというクルマから見ると、日産との合併は、2代目S5型プリンス・スカイラインの時代でした。
1964年発売のプリンス・スカイライン(右)と、1967年発売の日産・スカイライン(左)
c0223825_01563586.jpg
スカイラインというと、1964年の第2回日本グランプリで、スカイライン伝説を生んだ2000ccのS54GT-B型(写真右のGT-A型はシングルキャブ版)だけではなく、標準車の1500cc車のレーシング版ももの凄く活躍した訳です。1300cc~1600ccクラスの部門で、プリンス・スカイライン1500は1位~8位を独占。このレースに出場していた徳大寺有恒さんの駆るトヨタ・ワークスのコロナより1周10秒も速かったというのですから、桜井眞一郎氏らのプリンス自動車エンジニア陣のプライドは相当高かったと思います。
c0223825_02041218.jpg
それが日産自動車に吸収合併され、67年にスカイラインをマイナーチェンジした際には、その発表は日産プリンス販売のディーラで行ったというのですから、さぞかし悔しかったでしょう。プリンス族はそこに集まるしかなかったのだから。

ニッサン・スカイラインになって、エンジンフードに「nissan」のロゴが入りました。
c0223825_02073854.jpg
でもフード先端の「P」のデザインのようなエンブレムはプリンス時代からそのままです。この辺りに、日産の配慮、プリンスのプライドが伺えます。
それにしても右側にも見えるプリンス・スカイラインの端正な4ドアセダンのスタイルの上品なこと。70年代のメルセデス・Sクラスに通じるものがあります。
c0223825_02065247.jpg
前述したように、日産とプリンスの合併は、セドリックとグロリア、ローレルとスカイラインという両者の主力車種の統合再編に繋がってしまいます。私は、この点が今から見れば日産がそれぞれのクルマのブランド構築という点では二重の負担になり、ブランドの持つ価値を活かしきれなかったと思う点が残念です。
例えば、この、プリンス・グロリアなどその典型です。
初代グロリアは、今上天皇陛下が皇太子(プリンス)の時代に、殿下のご成婚に因んだ「栄光=グロリア」の名で発売され、殿下ご自身もご愛用されたという「究極のブランド」品であった筈です。
2代目のこのモデルも、アメリカ車ばりの洒落たデザインをまとって、ラジエータグリルに輝く「Prince」の文字も誇らしく、いかにも高級車という雰囲気に溢れています。
(2代目・プリンス・グロリア)
c0223825_02201056.jpg
ラジエーターグリルに輝く「Prinnce」の金文字、センターにはPのエンブレム
c0223825_02243425.jpg
グロリアは、初代の時代から、リアアクスルに、戦前から欧州車が用い、70年代にはアルファロメオが採用していた高度な高級サスペンション、ド・ディオンアクスルを搭載していました。貨物車などに見られる丈夫なリーフリジッドがほとんどだった当時の日本では、これは異次元とも言える構造だった訳です。構造は複雑でも乗り心地が良いメリットがありました。
c0223825_02350116.jpg
そして、当時の日産・セドリックは、プリンスグロリアと比べると、落ち着きはあるものの、スタイルも同じアメリカ流とはいってもグロリアが瀟洒な感じに対してよく言えば重厚、悪く言えば少し保守的に過ぎるような印象もあります。リアサスペンションも、こちらはコンベンションナルなリーフリジッドで、プリンスから見ればやや旧いという感じがあったのではないでしょうか。
(日産・初代セドリック1900)
c0223825_02490664.jpg
そして、合併後の67年に登場した日産・グロリアは、プリンス時代に開発が始められたため、縦目の特徴あるロイヤルスタイル(プリンス自動車がデザインした御料車のデザインに因みます)はセドリックとは別ではあったものの、開発中の合併劇に伴ってセドリックとの部品共有化が進められ、初代からの特徴だった乗り心地重視のド・ディオンアクスルが廃止され、セドリックと共用のリーフリジッドになってしまった点は、個性的なブランドの差別化という点では明らかにマイナスでした。
そしてこれ以降、輝かしい伝統のあるグロリアは、セドリックの単なるバッジエンジニアリングの兄弟車になり、結局ブランド廃止になってしまいました。名前の由来を振り返ればお分かりいただけるように、日産は、この点ではかなり勿体ないことをしたと思います。

(3代目グロリア)
c0223825_02550235.jpg
c0223825_02570261.jpg
そして何より、今回取り上げたスカイラインにとって、やっかいだったのは日産の主力車で、クラスが被るローレルや、日産の看板車種であるブルーバードとの性格を分けることだったと思います。この点については次回。

by bjiman | 2017-02-28 05:00 | CAR | Comments(0)
名前
URL
画像認証
削除用パスワード
<< ニッサン・スカイラインについて... ニッサン・スカイラインについて... >>