ニッサン・スカイラインについて(ジャーナリズムに意見しておきたいこと)②

フランスの哲学者、ロラン・バルトは、「作者の死」の中で、「作品は様々なものが引用された織物のようなもの」で、「作者であっても何らかの影響を受けている」のであり、「作者は作品を支配することはできず、その解釈は、読者にゆだねられるもの」だと言いました。
なるほどこの説はクルマにもあてはまるところがあって、作者=設計者が、どんな意図をもって設計していたとしても、読者=消費者の共感を呼ばなければクルマは売れませんし、結局、クルマという商品の評価は読者=消費者の評価にゆだねられるものだからです。特にスカイラインのように、長い間多くのファンによって愛され、ブランドを築いてきたクルマが、「スカイラインらしい」のか「スカイラインらしくない」のかは、結局は、ユーザーの評価次第だと思います。
一方、ジャーナリズムが、設計者にその設計意図を聞くことなく、独自の解釈をすることは、また別だと思います。


(私は結構好きなデザイン。現行型ニッサン・スカイラインV37型)
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私が、ニッサンスカイラインについて書いたのも、年末に掲載されていたスカイラインV35型の論評に、
「これまでスカイラインというクルマが作り続けてきた思いや伝統を微塵も感じさせない」
「このでぶなクルマに、スカイラインと名づけることに反対意見はなかったのだろうか。」
「いや、あったに違いない、ゴーン勢力に押し切られてしまったのだろう。」
と書かれていたことがきっかけです。

取材もせず、一方的な立場で決めつける。

最近の自動車ジャーナリストにちらちら見えるこんな姿勢は、私は自動車評論が落ちてはいけないポイントだと思います。
自動車ジャーナリズムに限らず、ジャーナリズムに係わる人達は、「戦前の大本営発表になってはいけない」、ということは意識の根底にある筈です。
大本営発表の何がいけなかったのか。辞典を引くと、「戦況が悪化しているのに、優勢であるかのような虚偽の発表を繰り返した」とあります。
ミッドウェイ海戦の時、昭和17年6月に行われたこの海戦は、日本が虎の子の主戦航空母艦4艦を一気に失うという大被害を受け、敗戦につながるきっかけになったものであるにも係わらず、大本営はこの事実を秘匿し、「航空母艦1隻沈没、1隻大破」と改竄して発表しました。鉛筆を舐める分には4→1に過ぎない小さな数字の文字であっても、実態は大きく異なります。記者は現場にいって確かめることができず、発表をそのまま報道するしかなかった。正しい情報が伝えられず、その後の悲劇に繋がりました。だからいけないのでしょう。
バルトが指摘しなくたって、ユーザーは、作者の意図とは無関係に色んな解釈をします。「スカイラインらしい」とか「らしくない」とか。
自動車ジャーナリズムというプロの書き手の評論は、これと同じステージでは駄目なんです。個人の感想など聞いてない。実際にどうだったのか聞いてきて、識者の意見やデータを踏まえつつ、自分なりの解釈を説明する。その時に、はじめて評論としての価値が生まれるんだと思います。
大事なことは、「客観的な事実を伝える」ということだと思います。自動車ジャーナリズムには「聞く」という動作が必須だと思うのです。

○米国で成功したスカイラインの再編成
この表は、昨年、2016年の年間販売データ。米国での乗用車販売ランキングです。
昨年、米国の乗用車販売ランキングでは、一般の乗用車部門で、ニッサン・ティアナ(米国名アルティマ)が5位、プレミアムカー部門(レクサス、ベンツ、リンカーンなどのプレミアムブランド15社が発売する全ラインナップのランキング。表ではセダンのみ抜粋)でも、インフィニティ・Q50(日本名ニッサンスカイライン)がセダンでは5位にランクインしました。プレミアムカー全車の順位で見ても14位で、ライバルのレクサスとの比較ではGSよりもISよりも上に行っています。レクサスは、米国では何といってもESがセダンの初めの頃からの稼ぎ頭です。こういうことは日本のジャーナリズムではまず議論してくれません。
ティアナとスカイラインは、元はと言えば、プリンス自動車のスカイラインと、ニッサン自動車のローレルが、紆余曲折を経ながら変遷してきた後継車です。私は、レクサスの2016年結果を検証(笑)している時に偶然この事実を知り、迷走に迷走を重ねたニッサンのLクラスセダンの再編が、米国では「成功」と言ってもいいんじゃないかと感慨深い思いで見ていました。
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(米国乗用車部門で、1位と5位のトヨタ・カムリとニッサン・アルティマ(ティアナ)@ハワイにて)
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私が気になった自動車ジャーナリストは、スカイラインV35に対して、「これまでスカイラインというクルマが作り続けてきた思いや伝統を微塵も感じさせない」と書いていました。ではお聞きしたいのですが、スカイラインの伝統とは何でしょうか。

「プリンス」から始まったスカイライン
クルマ好きの方なら誰でもご存じのように、スカイラインはもともとはニッサンのクルマではなく、「プリンス自動車」という会社が作ったものです。プリンス自動車は、戦前は、戦闘機の名機と言われる「隼」を設計した立川飛行機のエンジニア達が立ち上げた自動車メーカで、「プリンス自動車」の社名は、1952年(昭和27年)の今上天皇の立太子礼に因みます。

(スカイライン伝説を作った、初代スカイラインGT(写真はシングルキャブのS54A型)と、そのグリルにカッコ良くあしらわれた、プリンス自動車の「P」) @昭和記念公園 SIGMA DP1 Merrill
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初代スカイラインは、今上天皇の皇太子殿下時代の愛車だったことでも有名です。2014年に亡くなられた自動車評論家の徳大寺さんは、この初代スカイラインを運転している時の殿下と路上ですれ違ったことがあると著書で何度か触れています。そしてスカイラインは、1958年(昭和33年)10月に、プリンス・スカイライン1900としてモーターショーで発表されたモデルが、翌年の1959年に「プリンス・グロリア」として発売されますが、グロリア(栄光・光栄)という車名は、この年に皇太子殿下がご成婚されたことに因みます。このモデルも殿下に納入されたとのことで、グロリアやスカイライン、特にスカイラインは、プリンス自動車にとって大切な名前として扱われていきます。

(プリンス・グロリア。スカイライン2000GTには、このグロリア用の6気筒エンジンが移入された。)
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「スカイライン伝説」は、1964年に開催された第2回日本グランプリから始まったということは前回書いた通りです。これはニッサン自身がそのように説明しています。
そのスカイラインの基礎をなしたモデルは、1963年11月に登場し、後で、上の写真の初代GTのベース車となる二代目プリンス・スカイライン1500でしょう。

プリンス・スカイライン1500(S5型) 1963年~ @昭和記念公園 SIGMA DP1 Merrill
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プリンス自動車は、メーカーとしては後発だったので、ニッチな高級車マーケットをターゲットしていました。プリンス・グロリア(後のニッサン・グロリア)初代スカイラインのバリエーションのような形でデビューすることになりますが、スカイライン2代目のS5型は、グロリアとは分けられ、日本にもモータリゼーションの波が来て、一般の消費者にクルマが売れ始めた時代であった1963年末のデビューなので、プリンス自動車としては小型で、1500cc車として設計されたのです。

(高級感のあるスカイライン1500のグリルとPをあしらったエンブレム)
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1964年の第2回日本グランプリの開催前に、トヨタ・ワークスドライバーの式場荘吉さんが、ポルシェ904を個人輸入して出場してくるというニュースを前に、プリンス開発陣は、これに対抗するために、レースカーを仕立てます。レースに出場するためには100台生産車を生産している必要がありましたから、プリンス開発陣は急ピッチでこれを進める必要があり、スカイライン1500のエンジンルーム、ホイールベースを20cm延長してグロリア用の2000ccエンジンを突っ込むという、言葉は悪いですが少し安直な方法がと取られました。この開発を指揮したプリンス自動車のエンジニアが、後で有名になる桜井眞一郎氏で、今日まで続く、「スカイラインGT」の誕生のエピソードです。写真で比較していただくとわかりやすいと思いますが、20cm長いフロント部分が分かると思います。
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こちらが、1500ccの標準車。エンジン部分が短い。
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だから、最初、スカイラインというクルマは、1500ccクラスのクルマとしてバランスするように設計されたのに、2000GTで大成功を収めてしまった。しかも、ニッサンと合併してからの「初代スカイラインGT-R」では、今度はツーリングカーレースでの戦闘力を高めるために、ホイールベースを切り詰めて2ドアセダンにしてしまった。
フロントは直列6気筒エンジンで長く、後ろは、2ドアでショートホイールベースで切り詰めたのでは、トレードオフとなるのはキャビンスペースです。
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このように、スカイラインの歴史は、高級4ドアセダンとして始まり、伝説となったレースでの戦闘力のために、ショートホイールベースに→キャビンスペースが不足するのでボディを拡大→売れなくなり、またボディをショートに、の繰り返しになります。これは、最初のスカイライン伝説の時に4ドアセダンでありながら、本格的なスポーツカーのポルシェを抜いた、まさにあの瞬間に決まったスカイラインの宿命だったのかなと思います。
続きは次回。ニッサンとプリンスの合併を絡めて、現在のスカイラインの再編成を好ましく思ったというところにつなげていきます。

by bjiman | 2017-02-20 06:00 | CAR | Comments(0)
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