トヨタ・クラウン60周年記念展に思う~クルマの自虐史観から抜け出せ~さらばクルマジャーナリズム⑥

私が20代の頃、愛読していた自動車専門誌の鼎談形式の評論集(1984~1992年)では、クラウンに対して非常に否定的な議論がなされてきたということを書いてきました。このことを書いたのは、自動車ジャーナリズムには基本的にこうしたスタンスが今も引き継がれているからです。そしてその意図するところに私はどうしても共感することができません。今回は、この特集で書きたかったテーマの本題を書きたいと思います。
この鼎談集では、8代目クラウンに続いて9代目クラウン(1991~)について、「ユーザーの気持ちを理解しているクルマだが、それ以外の人には興味がない。」「お客様は神様」という(考え方)とした上で、「保守本流のクルマなんか×でいいのではないか」としています。
〈9代目クラウン・マジェスタ〉
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私は、トヨタ・クラウン60周年記念展に思う~日本人の誇りを載せて④~のところでも書いたように、ユーノスロードスターやR32スカイラインGT-Rが登場した1989年から9代目が登場した1991年頃というのは、日本車が一つの到達点に達した年だと思っています。1989年の税制改正を持って、それまでの5ナンバーサイズと3ナンバーサイズのボディサイズによる課税規制が撤廃され、ボディサイズによらず排気量による課税とされることで、全幅規制(1,700mm)の制約がなくなり、クラウンのボディサイズ設定も標準のロイヤルで全長4800mm×全幅1750mm、このマジェスタは、全長4800mm×全幅1800mmと、同時代のメルセデス・Eクラス(W124)のサイズ(全長4740mm×全幅1740mm)と比べてもディメンションに差が全くありません。
差がないだけではなく、この代の頃から、クラウンには日本的な上品さが備わってきたように感じています。(むしろ現行型より。)私は、この初代マジェスタがイチバン好きかもしれません。
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保護税制もなくなって、欧州車と同じディメンションを纏ってようやく国際的なサイズになって出てくると、今度は、保守本流はいらないという考え方を示す。このような評価がジャーナリズムであるというのであれば、もはや自動車ガイドという領域を超えて、ユーザーに考え方の変革を促しているという風に考えているように思います。つまり、クラウンを支持するファンにとっては魅力的だろうということは分かっている、完成度も高いと評価している。でも、評価しない。8代目クラウンの時は、クラウンは、現代社会を肯定しているところが気にくわないと言っている訳です。これではユーザーがついて行けない。ある自動車評論家の方は、「クラウンは、自動車ジャーナリズムを相手にしていない」と書いていましたが、相手にしていないというより、「相手に出来ない」ということだと思います。

〈14代目・現行型クラウン(MC前モデル)〉
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2012年12月25日、現行型14代目クラウンの発表会の際の豊田章男社長の豊田章男社長のスピーチが素晴らしいので、私は何度も読み返したのですが、この中で、豊田社長はクラウンは、「日本の高級車の最高峰として、いつの時代も日本を背負ってきた」「最高峰を求めるお客様のプライド、生産、販売に携わる全ての人のプライド、、、日本人のプライドを背負って走ってきたクルマだと思っている」とお話されました。
クラウンは高級車です。購入できるユーザーは限られたものですし、それは日本の社会で、社会のために貢献してきた方々でしょう。そういうユーザーのこうあって欲しいという要望を適えてきたクルマに対して、「保守本流なんていらない」と切って捨てることは、言ってみれば自分達の先達に対する否定だと思います。私はそのような否定はしませんし、できません。
私は、学生時代の恩師から「現役時代に成功したと思ったら、それは先輩の成功だと思いなさい」と教えられてきました。それが学校の伝統を支えているものであるとも思っています。クラウンもそうでしょう。なぜ、セダンの市場が限られたものになった現在の状況で、クラウンとカローラが国内販売ランキングのベスト30に入っていられるのか。カローラなんか最近は2位です。それは、先達から引き継いできた財産があるからでしょう。財産とは、第一にまず長年愛用してきたユーザーからの要望やクレームという財産、そうしたユーザーに販売してきた販売店からの「こうしないと売れないよ」というデータ。これに基づいて、第一にユーザーの思いを適えてきたからでしょう。それが伝統に繋がるのではないでしょうか。戦後、日本のクルマを成長産業に育てようとした時、識者は何と言ったか?白洲次郎氏は、「100年掛かる」と指摘したそうです。戦後、日本車に一番欠けていたものは、欧州にはある伝統です。歴史の伝統の時間差だけはいかんともしがたい、、、だからこそ、白洲氏は、トヨタの躍進を非常に高く評価しておられたそうです。

(現行型クラウンロイヤル(MC前))
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現行型クラウンが登場した時、かつて私が信頼していた自動車専門誌の特集記事は、「誰のためのクラウンなのか」というタイトルでした。疑問系で終わるキャッチは、昔、BMWの広告で、「なぜあなたの会社の社長車はBMWにしないのか」といったものが高く評価されていたので使うのかもしれませんが、私は、ジャーナリズムが疑問系で終わる文章を書くのはおかしいと思います。誰のためのクラウンなのか、と思うなら、メーカーに電話して取材すれば良い話です。聞けば返ってくるでしょう。実際、GAZOOのインタビュー記事を見れば書いてあります。現行型は団塊の世代が中心で、ユーザーに聞いたらば、半分くらいの方がハイブリッドが良くて、価格は470万円くらいが良いという答えだったと。若い人にも幅広くファンになってもらえるように価格が高くなりすぎないようにしたと。MC前のクラウンの売れ線「ハイブリッド・アスリートS」は469万円でした。
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にも関わらず、この特集記事では、特に根拠もなく、他のクルマのレベルも上がったのだから、「もはやクラウンなんてなくてもいいのではないか」と思ったという。あろうことか、大都市圏ならいろんなクルマが買えるが、日本国内には国産車しか買えない地域が多いからクラウンが必要なんだと思い直したと書いてあるのです。大都市なら輸入車が買えるからクラウンなんていらないが、地方では輸入車が買えないからクラウンがいるんだ、と。私はよくこんな失礼なことを書けるなと呆れてしまいました。また、いかにこういった視点が、狭い東京の、東京だけの視点だということも。
例えば、あくまで参考としてですが、2014年度の輸入車販売台数を世帯数で割ってみるとどうなるか、というデータを見てみました。縦長で見にくい表ですが、世帯数当たり2014年度に販売された輸入車台数は、全国的に見て0.003台から0.005台程度の県が多く、東京都(0.008台)とさほどの違いはありません。むしろ富山県や福井県、山梨県、和歌山県など東京都よりも高い数値です。
ちょっと前ですが、法事で父の実家(三重県)に帰ったとき、親戚のクルマはレンジローバーでした。私は他の親戚のメルセデスに乗せていただいて移動しましたが、別に地方だからといって輸入車など今更全然特別なものではないことは言うまでもないことです。三重県の世帯当たり輸入車購入数は0.006で私の住む千葉県(0.005)より高いのです。千葉県は輸入車買うのに困るような県じゃありませんよ。
自動車保有台数ランキングで見てみると、東京都より世帯当たり輸入車購入台数の割合が高い富山県や福井県、山梨県は、人口100人当たりの自動車保有台数がベスト10に入っています。(富山4位、山梨5位、福井7位。ちなみに三重県は千葉県(41位)よりも上で10位。東京なんか47位でビリです。人口対比の所有台数が少ないのですから高額な輸入車でもいいでしょう。でも複数台所有あるいは1人1台所有が当たり前みたいな地方では、気軽なクルマが多く売れたり、あるいは家族で移動する際に便利なワゴンが好まれたりもするでしょう。単に地方でディーラーが少ないから輸入車が買えなくてクラウンがいるんだ、みたいなことはではないのではないですか?
この程度の表で何か言える訳ではありませんが、自動車専門誌の方は根拠なしですからそれよりはマシではないでしょうか。
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(資料:世帯数:総務省「住民基本台帳に基づく人口、人口動態及び世帯数調査」、輸入車販売台数:JAIA輸入車新車登録台数速報。ともに2014年)

私は、クラウンが今日の販売ランキングで、ベスト30に入り続けているのは、そんな地方で、輸入車が買えないからしょうがないから買っているのではないと思います。

次回に続きます。次回で最後にしたいと思っています。

by bjiman | 2015-11-04 02:10 | CAR | Comments(0)
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