トヨタ・クラウン60周年記念展に思う~日本人の誇りを載せて①~

シルバーウィークの初め9月20日に、お台場にあるトヨタのMEGA WEBで開かれていた「クラウン60周年記念展」に出掛けてきました。

〈初代クラウン・1957 Mobilgas Rally (Round Australia)仕様〉SIGMA DP1 Merrill
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「日本人の頭と腕」で世界を席巻する日本製自動車を作るということは、1910年(明治43年)にトヨタの創業社長・豊田佐吉氏がアメリカで自動車産業を見て以来の理念であったそうです。いきなり結論になりますが、私は、この創業者の思いが今日のトヨタを生み、そして支えているのではないかと思います。
VWの不正事件に掛かる記事を多くの方に読んで頂いて嬉しく思います。新聞などのメディアは連日、VWの経営はとか、VW幹部の責任だとか修理で直せるのか、といった目先のことしか報道していませんが、私はこのようなことに何の興味もありません。今回の不正事件は、世界的に進む環境対策の流れの中で数多くあるメーカーの一つが焦りに任せて行ったことであり不幸なことだとは思いますが、仮に、報道されているようにVWが今回の不正事件を修理で乗り切ることが出来たとしても既に過去のものとなった規制値のクリアに過ぎないこと、目の前の2020年には新たな規制値が導入され、さらに2025年の検討もされているその規制値はディーゼルエンジンも含む現在の内燃機関だけでは乗り切れないとみられている中で、各メーカーとも「その先」を見据えた未来が既に始まっている環境下だということから見れば、ますます激しくなる今後の技術開発においてニッポンの技術を応援したいと思うばかりです。むしろ、こんな時だからこそ、「自分の頭と腕」で考えるべきだという豊田佐吉氏の理念を見ることが大事なのだと思います。
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自動車ジャーナリズムは、VW POLOが出れば「またやられた」、UP!が出た時にも黒船が来襲したかのように「もうダメだ」と書いてきました。ドイツ車のクリーン・ディーゼルが良いとなれば「日本のハイブリッドはエコじゃない」と書いてきました。でも2015年の現時点において、小型車市場はどうなっているでしょうか。アクアもフィットも元気です。ハイブリッドを搭載したカローラの販売も好調です。米国での乗用車販売のシェアは2014年の年間トータルで1~5位まで日本車でした。近未来を見ればハイブリッド車の電気部分を今より少しリッチにしたPHEV車は、これからのますます厳しくなる排気ガス規制を乗り切る上で有効な手段であることは間違いありません。ボルボの自動ブレーキがいい、だからボルボがいいんだというジャーナリストもいます。でもそれなら優秀なスバルもあります。欧州を見なくても良いということではなく、過剰に心配せず、自分の道を確かに歩んでいけば良いのだと思います。

〈初代トヨタ・クラウン 1958年 MODEL RS-L〉
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第2次世界大戦終結後、敗戦した日本は自動車の製造もGHQの許可制であり、敗戦直後の1945年9月25日にまず最初にトラック1500台の製造許可がされてもその台数まで製造できないような状態だったそうです。しかし、日本の占領政策を背負った男・白洲次郎氏が活躍して誕生した通産省は、成長産業として自動車産業を育成する方向を決断します。しかし1948年以後のいわゆるドッジライン政策によって疲弊していた日本経済を活性化させることは容易ではなく、日本銀行総裁だった一万田氏は、「日本で自動車工業を育成しようとするなど無駄。今は国際分業の時代であり、米国で安くて良いクルマができるのだからそれを輸入すれば良いではないか」という趣旨の発言をしたことは有名です。「国際分業の時代」を「グローバル化の時代」に、「米国で」をどこかに置き換えればまるで昨今の議論のようです。敗戦直後の疲弊した状況を考えればやむを得ないとも思いますが、仮に一万田氏の発言どおりにしていたなら、結果論ですが、それからわずか20年もしない1967年に世界第2位の生産台数にまで成長した日本のクルマ産業による活力は得られなかったことになるのです。歴史は繰り返すということを念頭において、今後のチャレンジもしていくべきだと思います。
、、、とこんな環境の中で1950年代の日本の各自動車メーカーは、ニッサンは英国オースティンと、いすずは英国ルーツと、日野自動車はフランスのルノーとそれぞれ技術提携し、分かりやすく言えば外国のクルマのノックダウン生産をしながら技術を学ぶ方法を選んだのに対し、トヨタとプリンス自動車は、最初から独力で開発する方法を選びました。それが、初代トヨタ・クラウンと、プリンス(後のニッサン)スカイラインの歴史の始まりになっていくのです。

〈初代クラウン・RS系〉1955年発売
昭和30年に発売された初代クラウンは、前輪の独立懸架と観音開きのドアが印象的です。
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初代主査の中村健也氏は俳優のような精悍な顔立ちが印象的なエンジニアです。
中村氏は、初代クラウンの設計にあたって、アメリカンなスタイルながら、日本の小型車枠一杯に納めて、乗り心地がよいクルマをコンセプトに据えて開発したとのこと。当時乗用車ユーザーの主力であったタクシーでの乗り降りを重視して乗り降りのしやすい観音開きドアを採用するとともに、乗り心地のために前輪独立懸架を採用するなど、日本のユーザーに優しく、また先進技術を積極的に導入していくという今日のクラウンのコンセプトが早くもここで確立していることを感じさせます。

〈TOYOPET CROWNの文字。トヨペットは、トヨタのペットから来ているとのこと。〉
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初代は、こんなエンブレムだったんですね。
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こうしてみると、私の目にはアメリカンというようり、ちょっとロールスのような英国風の風格も感じたりします。なかなかに上品で、落ち着いた高級車という感じですね。
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初代だけでだいぶ分量を割いてしまいました。次回からは、ちょっとペースを上げていきたいと思います。

2015.9.20 お台場 TOYOTA MEGA WEBにて

by bjiman | 2015-10-01 05:00 | CAR | Comments(0)
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