MIRAIのミライ(さらばクルマジャーナリズム①)

クルマのジャーナリズムには以前から相当疑問を持っていましたが、レクサス・HSを購入して1年半ほどそのいくつかに触れてみて、私はクルマジャーナリズムにさようならをしました。いつまでもこのような事を考えていても健康によくないので、そのいくつかに触れてこの事は忘れようと決めました。「クルマジャーナリズム、さようなら」その最初は、燃料電池自動車・MIRAIについてです。
〈TOYOTA MIRAI〉
MIRAIのミライ(さらばクルマジャーナリズム①)_c0223825_22423201.jpg
水素発電によって得た電力とその電力を充電したバッテリーによるハイブリッド駆動車であるトヨタ・MIRAIが発売されて1年目。年間700台の生産計画の中で毎月50台~60台程度ずつ生産され、販売がされているようです。ごくたまに路上で見かけるようになり、走行しているのを見ると「お~、MIRAIだ!」とつい見入ってしまいます。
MIRAIのミライ(さらばクルマジャーナリズム①)_c0223825_22512962.jpg
MIRAIを走らせるには自然界にそのままでは存在しない水素を電気分解など何らかの方法で取り出す必要がありますが、ハイブリッドカーのHSに乗っている私から見ると、MIRAIがHSと違うところは、ガソリンタンクの代わりに水素タンク、ガソリンエンジンの代わりに水素発電スタックということで、システムはハイブリッドカーだという事が分かります。長年プリウスを開発し、走らせてきたトヨタの技術力を総結集したものなのでしょう。アイディアそのものはずっと古くからあってもそれを実際の路上を走る現実のものとしたトヨタのチャレンジ精神は素晴らしいものだと思います。
MIRAIのミライ(さらばクルマジャーナリズム①)_c0223825_23491106.jpg
いつになるか分からなくても化石燃料が限りあるものである以上、エンジンの代わりになる動力を持つクルマを作らないといけないのはもう決まっていることなので、その出来がどうとか、コストがどうとかいう前にまずはチャレンジをしていくという以外にはない訳です。水素を電気分解で取り出す場合には、なるほど現状では電気を発電する際にco2を排出すると思いますが、仮に風力発電などの持続可能な発電方式がもっと普及すれば文字通りゼロエミッションになるのではないでしょうか。そうなった場合に、イワタニのカセットコンロのようにボンベに詰められ可搬性の高い水素発電のメリットが活きてくるんだろうと思います。発電した電気は溜めておけませんが、発電した電気を使って水素にしておけば溜めておけますし運べます。私はエンジニアではないので燃料電池車が普及するのか電気自動車が普及するのかは分かりませんが、こうした先端技術の可能性について前向きに注目していきたいと思っています。

MIRAIのミライ(さらばクルマジャーナリズム①)_c0223825_00190300.jpg
プリウスのハイブリッドシステムもそうでしたが、こうした技術は独創性が大切です。科学技術の先進性について「イチバンじゃないと意味がない」というようなことが議論されたことがありますが、こうした議論の際に、総論としては誰もが「イチバンじゃないと意味が無い」という意見を概ね支持するのに、なぜかMIRAIのような、「イチバンのそのもの」を見せられると拒否反応が出るのが何故なのか不思議です。
特に私がおかしいと思ったのがWebメディアのミライの記事です。

〈MIRAIの原型 FCV-Concept〉 SIGMA DP2 Merrill
MIRAIのミライ(さらばクルマジャーナリズム①)_c0223825_00321417.jpg
この記事は著名なジャーナリストが書いている連載記事でした。最初に断りますがこの著者の問題意識(燃料電池車=FCVの今後の展開には諸課題があるということ)には異議がありません。議論の仕方がおかしいということなんです。まず最初の記事を読んだとき、「(FCVでなければ)1日にFCV数台しか水素を充填できない水素ステーションも不要だ。」と書いてあったことにおかしいと思いました。FCVの最大のメリットは、水素ステーションで1台3分程度で充填が完了することです。webで実際の開発計画を調べてみても、1時間当たりの供給可能台数は5~6台という記事があります。なぜ1日数台しか充填できないと書くのか、この点をこのwebメディアの編集部に質問しましたが、「改めて担当者よりご連絡いたします」と返信がきただけで後はご連絡などありませんでした。

MIRAIのミライ(さらばクルマジャーナリズム①)_c0223825_01074477.jpg
連載の記事のポイントはもっとおかしなものでした。
著者が言うには、MIRAIは、「パワーがない」「車体が重い」「高級車なのにFFで室内が狭い、4人乗り」だということでした。
私が聞きたいのは、では今から18年前、1997年に初代プリウスが出た時はどうでしたか?ということです。

〈初代プリウス〉SIGMA SD1 Merrill、SIGMA 70-300mm(120mm)
MIRAIのミライ(さらばクルマジャーナリズム①)_c0223825_01225473.jpg
初代プリウスは世界初の量産ハイブリッドカーで画期的なものでしたが、今よりはずっと室内も狭く、パワーもなく、特に高速走行での燃費はダメだと言われてきました。亀マークが出てパワーダウンするとかブレーキフィールが良くない等々、色々な問題が指摘されてきました。215万円という価格も、およそ儲かってはいないだろうと言われてきました。しかしご存じのようにそれらの問題は相当改善され、私のHSに関して言えば、ブレーキフィールも非常に良いと感じます。高速走行時にも燃費が安定的に良いということは実走データで言及してきたとおりです。MIRAIはまだ走り始めたばかりのクルマです。車体が重かったりパワーがなかったりすることが早晩解決されていくでしょう。だからこそ技術開発には夢があるのです。

(アクアライン経由で養老渓谷を往復したときの燃費)
MIRAIのミライ(さらばクルマジャーナリズム①)_c0223825_01333146.jpg
著者は、MIRAIの価格が723万円もするので、高いから高級車で、高級車とはFR(後輪駆動)が常識なのに、MIRAIはFF(前輪駆動)だ、といいます。これなど、どうしてそういうことを書くのか識者として不思議なくらいです。
私に言わせれば、MIRAIが高いのは未来の技術車だからで、「高級車」だからなのではありません。
もっと言えばMIRAIがFFなのは、ハイブリッドカーのSAIをベースにしているからで、最初のプリウスがFFであるように、現代のファミリーカーはまずFFで開発される方がむしろ常道です。
次に言えば、「高級車=FR」というのも、私のようなフランス車好きから言えば全くおかしな事です。
私が長年愛用したシトロエンは、1934年に画期的な前輪駆動車(=トラクシオン・アヴァン)を発表し、その地位を確立しました。トラクシオン・アヴァンは、その革新性から1999年に世界中のジャーナリストが選定するカーオブザセンチュリーにおいて特に傑出した25台に選定されています。

〈シトロエン11B トラクシオン・アヴァン〉
MIRAIのミライ(さらばクルマジャーナリズム①)_c0223825_22541395.jpg
MIRAIのミライ(さらばクルマジャーナリズム①)_c0223825_22584510.jpg
MIRAIのミライ(さらばクルマジャーナリズム①)_c0223825_23004804.jpg
MIRAIのミライ(さらばクルマジャーナリズム①)_c0223825_01490685.jpg
以来、シトロエンといえばFF、シャルル・ドゴール大統領の愛用したDSを始め、歴代の大統領車も多く輩出しています。マセラティエンジンを搭載した高級スポーツカー、SMだってFFです。
シトロエンだけじゃありません。ルノー25(バンサンク)はミッテラン大統領が愛用したルノーの最高級車ですが、これもFF5ドアハッチバックです。フランス人は高級車であってもこうした実用性を重視した合理的な発想を好んできました。サルコジ大統領が使用したシトロエンの最高級車C6だって後継車が期待されています。
ドイツは?ご存じのとおり、アウディは、純粋に技術的な理由で、FRよりもFF、FFベースの4輪駆動の方が優れているという彼らの考えによりFR車を作りません。最高級のA8だって初代にはFFがありました。高級車=FRなんて、単純な事では無いはずです。
つまるところ、著者は、MIRAIの燃料電池システムは、車体中心部に水素タンクを積んでいるから車内が狭いのだと書きたいのだと思いますが、それならそれでそれだけを書けば良いのです。議論の仕方がおかしいというのはそういうことです。今のハイブリッドシステムだって、昔はバッテリーが大きいからトランクスペースが取れないとか、リアシートのトランクスルーが出来なかったものですが、最近はかなり改善されつつあります。それが技術開発というものでしょう。

〈レクサスIS300hは、ハイブリッド車ながら、バッテリーの搭載位置を工夫してトランクスルーを実現〉
MIRAIのミライ(さらばクルマジャーナリズム①)_c0223825_02174068.jpg
また著名な起業家の方が水素燃料電池車に対して、「ぶつかって爆発したらどうするんだ」と書いていました。それを言うならプロパンガスのLPG車はどうなるんですか?と聞きたいものです。LPG車は日本だけでも20万台以上、世界では、2000年の750万台から2013年では2,500万台と3倍以上に伸びています。特にロシアやポーランドなどで多く、これもエコカーだからだという理由によるものです。都内では既にハイブリッド+LPGのタクシーも走っています。なぜこういう事に関心があったかというと、私が愛用していたシトロエン・クサラは、本国ではLPG仕様があったことを愛車だったために知っていたからです。
MIRAIのミライ(さらばクルマジャーナリズム①)_c0223825_02284138.jpg
私は、「当面の未来」としては家庭用電源で充電可能なプラグインハイブリッド=PHEVがもっとも実用性があるのではないかと考えています。電気自動車はある程度の充電時間が必要なので、今のままのガソリンスタンドのインフラではスペース的に難しい問題があるでしょうし、その点、PHEVであればガソリンでも走れますし、家庭で充電することもできます。
〈プリウス・PHEV〉
MIRAIのミライ(さらばクルマジャーナリズム①)_c0223825_02381209.jpg
ところが冒頭に書いたweb記事では同じ著者が、今度はドイツではPHEVが流行ってくるからハイブリッド車は終焉の危機?と書いています。プリウスもPHEV車を展開しているというのに。
プリウスはハイブリッド車の代表格なので何かと有名税的にやり玉に挙げられています。カリフォルニアのZEV法でハイブリッド車がエコカーから除外されてエコカー優先レーンを走れなくなると聞けば、大新聞が「プリウス、エコじゃない?」と書く。そこには、ディーゼルカーだって走れないのに。PHEVのプリウスなら走れるのに。私は、これじゃぁメーカーの人は大変だな、と思ってばかりです。
当面のエコカーとしてはクリーンディーゼルも有効だと思いますし、クルマジャーナリズムはずっと欧州はディーゼルが、、、と書き続けてきました。でも、そのヨーロッパのフランスでは、パリのアンヌ・イダルゴ市長が2020年までに市内でのディーゼル車の運行を禁止する考えを表明していることは滅多に書きません。数の少ない世論調査でしたがパリ市民も約半数がこの考えを支持していると伝えられています。こうした世界の情勢の中で、では日本はどうすべきかという建設的な議論をすべきであると思います。ドイツが電気自動車なら日本の水素燃料電池自動車は間違いなのか?と何でもドイツがイチバンと右へ倣え式の議論はもう止めにして欲しいという風に強く願っています。
新しいプリウスが発表されました。今度のプリウスは、PHEV車も強力に仕立ててくるようです。
私は、日本の企業が、自分の頭で考えた自分たちにベターだと考えた技術で結果を出して欲しいと願っています。
by bjiman | 2015-09-17 05:00 | CAR
<< お彼岸ですね ラ ブラスリー(帝国ホテル東京... >>